中林一仁
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今日は、何の日やっけ?

ブログ、2日目。タイトルは、なんとかの日にしようと思うも、今は分からんから、後で調べとこ。

今日は、やっぱりアドラーとの出会いについて書こうかな?

「嫌われる勇気」に出会ったのは、今年の5月くらいやったと思う。Tメンタルクリニックを受診した帰りに、何気に西宮北口駅構内のブックファーストに寄ってみたら店頭にうず高く、積まれてた。タイトルが、鮮烈なんに惹かれて、手にとって、パラパラとめくってみて、おもしろそうやな〜位の感覚で、即、購入。 

帰って、早速、本格的に読み出すと、まず感じたのは、青年と哲人の二人の対話形式になっていて、構成がシンプルで読みやすいってこと。とかく、この手の本は、作者の小難しい解釈が延々、続いて、読む気が失せてしまうパターンが割と多いと思うけど、この本は、その辺を意識して、解説じゃなくて対話形式に敢えてしたのかな?って思った。読者を飽きさせず、グイグイ中身に引き込んでいく手腕は、さすが、作者が精神科医である所以かなと思い、納得。

それで、中味は?というと...

これが、私にとっては、晴天の霹靂というか、目からウロコというか、まさに刺激的で、これまで生きてきて、こんな本に出会ったのは初めてや❗️って思った。

なんでって?

これまで、約50年生きてきて、ずっと自分に自信が持てなくて、他人と比べて、自分はダメ人間や。人より能力が劣った人間なんや。

所詮、人間の人生なんか、生まれた時点で、親から引き継いだDNAによって勝負は、決まってるんちゃうかなって、ずっと思ってたから。もちろん、なんとか成功したいって中学生までは、勉強を頑張ってたと思う。まだ、努力すればするほど、高みに登れるって信じてたんやと思う。でも、高校生になってだんだん、自分の能力の限界みたいなんを感じ出した。元々、理数系に進みたかってんけど、数学と物理の授業についていかれへんようになっていって、授業に出ても面白ないから、学校に行くふりして、昆陽池公園でベンチで寝転がってたことがよくあった。今になって思えば、授業が面白なさ過ぎたんやな。

教師⁉️ が、一方的に喋って、生徒が理解してるとか、ちゃんと授業についてきてるのかとか関係なし。物理の教師に至っては、授業が終わってから質問しに行ったら、見下したような目で面倒くさそうにしてるから、もう二度と、お前の授業なんかまともに聴くかっ‼️って感じで、理系に進むのを諦めたと思う。今の高校教育がどうなんか知らんけど、教師には、生徒の人生を左右してしまうかもしれない。いや、確実に左右するという自覚を持って欲しいと思う。もちろん、熱意を持って、授業が面白くなるように工夫されてる教師もいた。私の場合は、日本史と古文の先生だった。

まあ、そんなんで、私の場合は、理数系の教師に恵まれず、大学は文系の学部に進むことになった。

話しが、横へそれてしまい長くなってしまった...

まあ、そうして、なんかスカッとした気持ちになれず、自分に自信もなく、モヤモヤっとした感じのまま、大学は文系の学部に行った。しかし、そんなんやから、何を勉強したいとか目的を持たず、適当に入った大学やから、勉強に身が入る訳がなく、また、一般教養(般教って呼んでた。)の授業の面白なさは、ハンパなく、なんか教壇で、先生が、お経みたいなん唱えとんな〜みたいな感じで、あれで90分は、さすがにキツイ。ハッキリ言って、高い授業料返してくれや〜みたいな授業が多かったと思う。

そんなんで、大学時代は、勉強そっちのけで、テニスサークルとアルバイトがメイン。さすがに、進級できんと困るから、外国語(私は、英語とフランス語)の授業とゼミとか、履修が必須とされてる授業だけはたまに顔を覗かせていた。でも、授業についていける訳がなく、試験の時は、もっぱら、他人のノート頼り。大学の近くの本屋では、試験の時期に、誰それ教授のなんとかの授業のノートみたいなんが売ってたりしたから、そんなんや、同じテニスサークルの友人に顔の広い奴がいて、その友人からノート回してもらったり、フランス語の試験でほんまに困った時は、はたまた、同じテニスサークルの文学部の女の子にアルバイト料払って、訳してもらったこともあったなあー(≧∇≦)

長くなり過ぎたので、今日は、ここまでにしとこ。続きは、また明日や。今から、仕事頑張って来まーす^o^