中林一仁

2018.1.13(土) 新年初めての記事😊 「阿修羅のこと」 そして、今年はどんな年にしようか?

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   今日は、2018年1月13日。二十四節気では、小寒(1月5日)と大寒(1月20日)のほぼ中間ということになる。ここ二、三日は本当に寒くて⛄️、テニスやらウォーキングするのもつい億劫になってしもてたんやけど...

   今朝は、休みということもあり、7時過ぎまでグッスリ寝てた😳。 でも、天気そのものは寒いけど快晴で風もなかったので、少し遅いけど、ウォーキングに出かけようと思った。

   いつものように朝食の準備をして食事を済ませてから昆陽池公園に出かけた。寒さ対策は万全にと思い下はスェットジャージの下にタイツを履いて、靴下を2枚重ねて履き、上はUNIQLOで買ったヒートテックの長袖タートルネックシャツの上にジャージとスエットパーカーを重ね着して、更にその上から学生の時に買ったSt.Christopherのテニス用ウィンドブレーカーを羽織って、手袋も2枚重ねて嵌めて出かけた...なんか、モコモコしてしもて動きづらい気がしたけど、歩いてる時に手の指先や足先が冷たくなると辛いので仕方がない…

   去年の年末の23日にブログを更新してから、あれよあれよという間に、新年を迎えてしまい、さらに2週間も経ってしもた(≧∀≦)

    ただ、何を書けばいいのか悩んでて、ずっと気にはしてたんやけど...音楽の話しも、中途のまま終わってて(≧∀≦)

    それで今朝、ウォーキングをしながら考えてたんやけど、普段、本や新聞を読んでは、書込みしたり、記事を貼り付けたりしているノート📓をブログで公開してもいいんかな?とか...

    ニーチェの哲学のことなんかも書いてみたいなとか...

    でも、とりあえず新年始めのブログは、一昨年の12月23日に見に行った奈良の興福寺の阿修羅像について書こうと思った。

    阿修羅像は、それまで本でしか見たことがなかった。4年程前に復職支援施設で知り合いになった人と通院する心療内科が一緒でたまたま病院で一緒になった時に阿修羅像の話をしたんやったと思う。それで本物を見てみたくなって一番初めの上司と一緒に見に行ったんやった。

    初めて像を見たときの感想は、細くて華奢やなぁ😅って思ったのと、背の高さも153.4cmということなので圧迫感もなく、まさに紅顔の美少年😅。そして何よりもその顔の表情に魅せられた…

   眉間を寄せて少しつり上がった両眼。その眼は何を見ているのか…遠くのものを見ているようにも見えるし、何かを思い詰めているようにも見える…小さな口をキリッと閉じて両手を胸の前で合掌するその佇まいからは、胸に秘めるただならぬ意志や想い、あるいは憂いみたいなものを感じざるを得ない。

   「何かを後悔し、悔い改めようとしているのか?」とか「仏教の守護者としての想いみたいなものを体現しているのか?」とか想像力を働かせるんやけど…よくわからなかった。

   そこで、興福寺の土産物屋さんで購入した本の中から読んでみて興味深かった内容を書いてみようと思った。                

   ー以下の記事は「阿修羅を究める」より。ー

  「阿修羅は古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラはもともと「戦闘の神」で、激し    い気性の持ち主である。

   鎌倉時代の「北野天神縁起絵巻」には、阿修羅による戦いの場面が描かれている。阿修羅は手に弓と矢を持ち、牙を上に向け三つの顔と六本の手を持つ。一番上の手には太陽と月をシンボルとして持ち、身体は怒りを直接表すように赤く塗られている。

   阿修羅の戦う相手は、インドの神々の中心であるインドラ(帝釈天)である。しかし、阿修羅は帝釈天にどうしても勝つことができず、戦うことの苦しみを負うことになる。苦しみは業となり、阿修羅道として、地獄道、餓鬼道、畜生道、人道、天道とともに六道の一つに数えられ、畜生道と人道の間に位置付けられる。人間は心の中でさまざまに葛藤し、絶えることのない苦しみを持っている。阿修羅は人間の心の業を象徴的に表しているともいえる。

   古代インドの神々と同様に、阿修羅も仏教が成立し発展してゆく中で、仏教の中に取り入れられ、仏教に敵対するものを威嚇し退散させる守護神としての役割を持つようになる。

   阿修羅の帝釈天に挑む激しい戦闘の力は、仏教に対抗する者に向けられるのである。

   このようなインド神話に由来する「戦闘の神」としての阿修羅は、すでにふれたように怒り顔、三つの顔、六本の手、赤い肌で表すのが一般的である。

   興福寺の阿修羅像も形は同じであるが、表情からは怒りがまったく消えている。戦う神としての激しさはまったく見られない。(「阿修羅像の意味するものー興福寺阿修羅像の美と形」金子  啓明著より抜粋)

    おそらく、たがいに眼をいつまでもジーッと見つめ合わせていられるのは、たがいに信じ合い、愛し合い、哀しみ合っている者同士ではないだろうか。

    阿修羅の場合、阿修羅のまなざしを「見ている」ときは、それは遠くをはるかにやさしく見ているようなまなざしに見える。しかし、真正面からそのまなざしとかち合うと(あるいはそのまなざしに射すくめられると)、それは深く貫き通すようにきびしいまなざしに見える。阿修羅はやさしいまなざしときびしいまなざしの二つを持っている。

    阿修羅はなぜ、やさしくだけでもなく、きびしくだけでもなく、二つの相反するまなざしを持っているのか。それこそが堀辰雄が「切ないまなざし」と表現した理由なのではないか。

   「切ない」とは、心に深く感じ、悲しさ恋しさに胸がしめつけられるような気持ち、息苦しくなるようなおもいをいう。

    この阿修羅はなぜ、こんな切ないまなざしをしているのだろうか。あるいはこの切ないまなざしは何を意味しているのだろうか。それは、おそらく阿修羅が「人間の奥深くにある」悩みや悲しみや苦しみを受け止め、ともに悩み、ともに悲しみ、ともに苦しんでいるからではないだろうか。

    この阿修羅のまなざしは、人間を慈しみ救う慈愛や救済のそれではない。慈愛の目にみち救済の手をもった仏たち、観音や菩薩や如来はほかにたくさんいる。

    阿修羅のまなざしから伝わるものは、たとえ慈しみ救うことはできなくても、ひたすら苦悩を共にしようという「共苦」、悲しみを共にしようという「共悲」の意志である。

    阿修羅はもともと六道という悩みや苦しみ悲しみの世界に住んでいる鬼神という。だからこそ、人の悩み苦しみ悲しみを共にしてくれるのではないか。

    阿修羅は高い所から慈愛をたれたり、救いの手を差し伸べるというのではない。弱く愚かで罪深い私たちの傍にいて、ひたすら苦しみを苦しみ、悲しみを悲しんでくれるのである。だから、こんなにも「切ないまなざし」をしているのである。(「阿修羅と現代人の癒し」立川  昭二著より抜粋)

  

    紀元後四世紀ころ、土着の古神たちと結びついたバラモン教は、様相、内容も新たにヒンドゥー教として台頭する。

    その精神の中核となるのが、インドの二代叙事詩、「ラーマーナヤ」と「マハーバーラタ」である。その原形は紀元前二世紀頃に形作られた。「マハーバーラタ」はヒンドゥー教の興隆とともに、全18編;約10万の詩句からなる大叙事詩として、約六百年をかけて完成された。戦史に神々の物語や、民間説話が加わったものである。

    インドラは世界を支配して驕りたかぶり、傍若無人の振る舞いをするようになった。インドラの威光は陰り、神々とアスラの戦闘が始まった。神々は押されに押された。神々は、母がアスラではあるがヴェーダをマスターした若き聖人ヴィッシャルーパのおかげで助かった。だが、インドラは彼の出自を危ぶみ、後顧の憂いを断つべく最強の兵器ヴァジラー(雷光)で彼を殺害してしまう。ヴィッシャルーパの父トワシュタは復讐を誓い、盛大なヴェーダの祭りを催した。

    その聖火の中から出現したのが勇者ヴリトラである。不死身のヴリトラ率いるアスラと神々の戦いが再燃した。さしものインドラも攻めあぐね、神々の敗勢は明らかになった。いったんは和平した神々とヴリトラだが、ヴィシュヌ神の協力を取り付けたインドラと、海辺で両雄最後の戦いが始まった。

    はてしない激闘も、ついにインドラ得意の武器、ヴァジラーで決着がついた。彼は、ヴリトラの唯一の泣き所、口の中に雷光を打ち込んだのである。以後、インドラはヴリトラを殺した英雄=ヴリトラ.ハンとも呼ばれるようになった。しかし、欺瞞に満ち、卑怯な振る舞いの多かったインドラはやがて名声を失い、世界の王の座を退去した。

    ヒンドゥー教の世界では、アスラは神々と戦い敗れた魔神である。だが、インドラなどヴェーダの主だった神々も力を失ってしまった。ときは流れ、時代の覇者クリシュナ=ヴィシュヌとルドラ=アスラの出現である。ルドラ=アスラは山岳信仰と合体し、シヴァ神に変貌を遂げる。(「阿修羅とは何か」ー古き神々の没落      森谷   英俊著より抜粋)

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