中林一仁

2018.6.2(土) 過去、未来にとらわれず「今」ここを生きる。仏教における-苦-とは?

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  今日は、6月2日の土曜日。ただ今、午前9時2分。かかりつけの心療内科のクリニックのロビーで書いている。

  今日は、24節気では、「芒種」が6月6日ということなので、その4日前ということになる。「芒」とは、イネ科植物の穂先にある毛のような部分のことで、イネなどの穀物の種を蒔く時期という意味だそう...気象庁のデータを見ると、関西の梅雨入りは、だいたい例年だと、6月7日くらいみたいなので、来週あたりには梅雨入りするのかな(≧∀≦)

   梅雨は嫌やなぁ〜蒸し蒸しするのは、ほんと辟易するし、テニスやウォーキングが出来ないしで...

   幸い、今日と明日は、天気が良さそうなので、明日はテニスを頑張ろう🎾

   ブログを書くのも、ずっと滞ってしまって、前回の更新から、2ヶ月も経ってしまった(≧∀≦)

   生活そのものは、相変わらず、ダンスや、ウォーキングも続けているし、絵を描く練習も、少しずつやけど続けている。最近は、クロッキーといって、雑誌に載っている人物の写真を、素早くコピー用紙に鉛筆で描き写す練習をしている。通っている絵画教室の先生によると、そうやって、何枚も何枚もたくさん、描き写す練習を繰り返しながら、ダメなところを修正していくことによって、身体の各パーツの比率を取るのが上手くなっていったり、素早く形を捉えることが出来るようになるそう。個人的には、手の指先の形や、顔の目や唇を描くのが難しくて往生してるねんけど...これも、反復練習で慣れていくしか仕方ないんかな?

   それから、先々週から、キックボクシングも始めた^_^

   目的は、さらに身体を絞って、体脂肪率を下げたいのと、心肺能力の向上。

   手にグローブをはめて、ミットを持ったトレーナー相手にスパーリングをすると、かなり息が上がってキツイ(≧∀≦)時間にして、2分くらいかな?を2〜3ラウンドするんやけど、かなり心肺能力の向上が期待できそう^_^

   今、10時43分。クリニックの診察が終わって、これから阪神尼崎のキックボクシングのジムに向かうところ...

   今日は、クリニックの先生に相談したこととも関連するけど、今、自身が悩んでること、そして、仏教における「苦」とは何か?について調べたことを書いてみようと思った(≧∀≦)

  以下は、今日、主治医宛に書いた手紙からの抜粋。

「これは、昔から思っていたことなのですが、私は非常にメンタルが弱く、ストレスにも弱いと思います。特に他者からの自分に対する誹謗中傷、嫌がらせ、敵意等については過敏すぎるくらい、まともに受け止めてしまって、結果、頭の中がそのことで一杯になってしまい、動悸や、食欲不振、過呼吸などの身体症状、鬱病の症状を呈してしまうことがこれまでに多々ありました。

                      ー途中省略ー

    しかし、日曜日の夜くらいから、そうやって、他者から嫌われたり、嫌がらせを受けたりするのには、自分にも責任があるのでは?と思い直しました。他者が、そういう態度を取るのには、当然ながら何らかの理由があるはずです。「ひょっとすると、自分には、人の感情を逆なでしてしまうような何かがあるのかもしれない?」と思いました。でも、それが何なのか未だに分かりません。確かに私は人があまりしないことをしているかもしれません。でも、それは個性であって、嫌がらせや仲間はずれにする理由にはならないはずです。

    ただ、一つ思ったのは、自分も人間、他人も同じ人間です。完璧な人間なんていません。それなのに、私は他者の理不尽な言動を赦すことが今まで、できてなかったのでは?と思いました。私の心が柔軟性に欠けるために、他者の言葉をまともに受け止めてしまい、それでポッキリと心が折れてしまったのでは?と思い直したのです。他者も「人」である以上、完璧なはずもなく、その時の感情に任せるままに、非常識なことを言ったりしたりすることも多々あろうかと思います。

   だから、今後は自身にも非があるのだから、出来るだけ冷静になって、赦すと言いますか、他者の「そういう言動の根っこにあるものは何なのだろう?」と客観的に受け止め、考えても詮無いものは早々に忘れてしまう方法を身につけたいと思っております。

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   ただいま、17:37分。阪神尼崎での、キックボクシングの後、一旦、帰宅し、昼を食べてから、西宮北口パーソナルトレーニングに向かい、それを終えて、ダンスのレッスンまでの空き時間に、東通りにあるニュージャパンサウナで汗を流して、扇町通りにあるTurry'sで、グレープフルーツセパレートティーなるものを飲みながら続きを書こうと思った(≧∀≦)

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   「それから、このことに関しまして、自身で読んだ本の中で興味深かった箇所を引用します。

以下は、「世界のエリートがやっている最高の休息法」久賀谷  亮 著  ダイヤモンド社より、引用。

*思考の堂々巡り(無意味だとわかっていても抜け出せない)

*脳のすべての疲れやストレスは、過去や未来から生まれる。すでに終わったことを気に病んでいたり、これから起きることを不安に思っていたり、とにかく心が「今ここ」にない。この状態が慢性化することで心が疲弊していく。

*心の乱れは過去に縛られることから始まる。

*過去や未来から来るストレスから解放されることこそが、マインドフルネスの目的

*マインドフルネスとは「いってみれば心のストレッチ」決まった方向ばかりに関節を曲げていたら、身体が固まってくる。いつもと違う方向に少しだけ関節を曲げて、疲れづらい、怪我をしづらい身体をつくるのがストレッチ。人間の脳も放っておくと、現在以外のことばかりに向かってしまう。ここで、あえて現在の方に意識をストレッチしてみる。こうやって疲れづらい心をつくっていく。

*恐怖だとか外的脅威のようなストレス刺激が強すぎて、扁桃体が過剰に活動し、前頭葉が、それを抑え込めなくなると、交感神経に作用して身体症状が発生します。症状としては、動悸や過呼吸などが一般的です。

パニック発作のようなストレス反応には、不安を司る扁桃体がかなり深く関係している。そしてマインドフルネスは、この不安を緩和することが知られている。

     以上、「世界のエリートがやっている最高の休息法」より。

   そして、今日のもう一つのテーマである、仏教における「苦」とは何か?について調べたことを書かないとあかんねんけど、今から、晩御飯食べて、ダンスのレッスンに向かうので、この続きは、また後で...

   ただいま、18:49分。ダンスのレッスンまで、少し時間があるから続きを書こう^_^

    以下は、「ゆかいな仏教」橋爪大三郎大澤真幸著   サンガ新書より引用。

「苦」というと、楽と反対で、辛かったり痛かったりする感覚的な苦しみを思い浮かべてしまう。でも、そう考える必要はない。私は、ただ単に、「苦」とは、「人間の生が不完全であること」だと思うのです。ほんとうは、もっとよく、正しく生きられるのに、不完全に生きている。感覚に溺れたり、栄耀栄華で、物質的贅沢に囲まれたりして生きていることも、苦なのです。人間としてそれよりましに、それよりまともに、生きることができるから。本人は別にそれを、苦とは思ってないかもしれない。でも、ゴータマ・ブッダからみれば、それは苦(不完全な生)である。人間はもっと、完全に生きることができる。ブッダがみるから「苦」なのです。

ー途中省略ー

  生きていれば楽しいこともある。でも、病気になったり年老いたり、死んだりという、ネガティブにイメージしがちな部分も切り離すことのできない人生の一部分である。その全体を受け止めるべきだと、彼はまず主張したはずなのです。「苦」を強調したのは、普通の人が陥りがちな欠陥として、何とかこの運命から逃れたい、と思ってしまう。病気にならないといいとか、年をとらないといいとか、死なない方法はないものかとか。こう考えるから、同じ運命が二倍、三倍に苦しい。人間は生命なのだから病気になって当然だし、病気になったら病気と一緒に生きていくしかない。年もとる。それを受けとめ、勇気をもって年をとる。老人として生き、死ぬことも恐れてはいけない。それは、自分の人生のピリオドだ。こういうふうに、すべてのネガティヴな思い込みを捨て、積極的に前向きに、正しく生きていこう、みたいなことを言いたかったと思うのです。

(ただ今、21:43分。ダンスが終わって、帰りの電車の中)なので続きは、家に帰ってから(≧∀≦)

「四苦八苦」を仏教の中心に置き、しかも苦を文字通りの意味でネガティヴに受け取ると、仏教の本質を消極的なものと見誤ってしまうのではないかと危惧します。ゴータマ・ブッダの教えを一言で言えば、「勇気をもって、人間として正しく生きていきましょう」ベタですけれど、仏教の主張はこうだと思うのです。

                                                by.橋爪 大三郎

私の理解。仏教にいう苦は、自分の人生が思いどおりにならない、ということに等しい。「思いどおりにならない」という部分を苦と表現すれば、愛する人と別れることは思いどおりではないからそれを苦と感じてしまう。おいしいものを食べられればそれは苦ではないが、食べたいものが食べられなかったらそれを苦と感じてしまう。

    もしも思いどおりにならないことをネガティヴなものとカウントしていくと、人生はネガティヴだらけになり、自分の人生が思いどおりにならないというそのことに圧倒されて、へしゃげてしまうだろう。そうならないため、自分の人生が思いどおりにならないのはなぜなのか、と考えるわけです。

   ひとつの結論は、人生についてあらかじめこうであると考えているから、そうなるわけです。むしろ人生は、客観的な法則によって、なるようになっているだけ。だとすれば、あらかじめこうであるべきだというふうな甘い期待というか、幻想というか、そんなものを端的に持たないようにすれば、100%掛け値なしに、人生をあるがままに享受できる。全てをプラスと受け取ることができる。こういうことを言っているだけじゃないでしょうか。だからむしろ、ポジティブな考えだと思うんです

                                        by.橋爪  大三郎

    以上、長くなってしまったのでここまで。

  

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