中林一仁

2018.8.1 急がす、焦らず、気持ちの赴くままに...


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    ただ今、午後の6時45分。阪神尼崎でのキックボクシングを終えて、梅田のダンススタジオに向かう電車の中。

    前回の更新から、やっぱり2ヶ月経ってしまった(≧∀≦)

    気にはなってたんやけど、何を書けばいいのやら...

     悩んでも、いいアイデアは浮かばないので、ここは、開き直って、気の赴くままに、思い浮かぶことを書いてみようと思った。

     今日は、8月1日。24節気では、大暑(7月23日)と立秋(8月7日)のちょうど中間あたり...でも、このところ連日、さいこう気温が35度以上の猛暑日が続いている。

     今年は、6月18日に、震度6弱地震が発生して、たまたま、エレベーターの中に居た私は、揺れだした瞬間に、阪神大震災のことが頭をよぎって、本当に冷やりとした...たまたま、平成9年以降に設えれたエレベーターらしく緊急停止してドアが開いてくれたから閉じ込められずに済んで本当に良かった(;_;)でも、「地震です!地震です!」ってエレベーターが喋りだしたんには、少しビックリした(;_;)

   ただ今、夜の10時1分。ダンスのレッスンが終わって、電車の中🚃。ひと足違いで、通勤急行に乗り損ねてしもた(≧∀≦)

   さてさて、続きを書こう(;_;)

   地震があって、ヒヤリとしたと思ったら、7月5日から8日くらいまで、西日本豪雨に見舞われた...豪雨による災害としては平成になってから最悪とのことで各地で甚大な被害(特に広島と岡山が酷かった)が出た(≧∀≦)  

   個人的には、あんなに何日も降り続く雨は、初体験(;_;)阪急電車まで急に運休になってしまい、病院へ肝臓の検査に向かう途中に塚口駅で立ち往生してしまッたんやったけど、家族を失ったり、家を流されたりした人たちに比べれば、そんなことは大したことではない(≧∀≦)

    そして、西日本豪雨が終わったら、今度は連日の猛暑(≧∀≦)7月23日には埼玉県の熊谷市で41.1度という観測史上最高気温が記録されたとのこと。

     本当に、今年の天候は、かなり異常やと思う(;_;)地球温暖化の影響かな?日本の気候も熱帯化してるのか⁇

➖  ➖ ➖      休憩(^ν^)    ➖   ➖  ➖

ここで少し休憩して、ミニギャラリーをやろう(#^.^#)枚数は少ないけど、前回から新しく描いた絵を公開!

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以上(;_;)。なかなか、1枚を仕上げるのに時間がかかるし、まだまだ下手なので、なんとなく気が引けるけど...まあ、よしとしておこう(;_;)

 

さてさて、ここからは心の赴くままに...

日々の通勤風景...

   いつもと同じバス、電車、いつも乗り込む車両、いつも座る座席、見慣れた乗客、いつもの顔...

   復職してから、もうどのくらい同じような風景を見てきたのかな?

   考えようによっては、没個性的?画一的?なような生活スタイルにも思えるが、その反面、規則正しい生活が送れているという証になるような気もする。

  気になる乗客がいる...

  anerroのリュックをいつも背負っている女性...

   (何か、いつもテトリスみたいなスマホゲームをしている。色白で細身。美しい顔...)

  靴👠の商品企画をしていそうな女性...

  (以前、座席に座りながら、乗客の中の一人の靴のデザインをノートに写し取っていた...)

  (靴の商品企画書みたいな書類に目を通していた。)

  (姿勢が良い。服装のセンスが良い。色白で肌も綺麗。細身でスタイルが良い。歩くのがとても速い...きっと、何かスポーツをしていたか、今もしているに違いないと思う(;_;))

 

孤独について...

   異端と言われたことがある。人と違うことをすると言われる。いつも孤独なので、本と音楽が友達のようなもの。誰も何も教えてはくれないので、本を頼りに知識を得て自分なりに考えて行動するしかない。なので、行動が独創的(他人と違う)になるのは当たり前。人は孤独にならないと自分の頭で考えることをしないのでは?

 

「大切なのは何が与えられたかではなく、与えられたものをどう使うかである」...について

    これは、容姿や才能、能力等、自身の属性に関わるものだけではないような気がする...

    例えば、子供👶に、LEGOブロックを与えたら何を作るか?折り紙とハサミ✂️を渡したら何を作るか?画用紙とクレヨンを渡したら何を描くのか?まさしく、与えられたものをどう使うかは、子供の創造力次第...

   結果、何が出来たかは、そんなに重要ではなく、新しいものを創り出す過程、プロセスが実はとても大事で、そういう訓練を繰り返すことによって自由な発想が身につくんやと思うんやけど...

メンタルヘルスと作業について...

   スポーツ、芸術、家事、なんでもいいけど、作業に集中することで、心のストレッチになるような気がする。→嫌なことを忘れられる。

   要するに、運動や目の前の作業(今ここ❗️)に集中することはメンタルヘルスの面からみても良いことのように思う。

                                  以上、今日はここまで...

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2018.1.13(土) 新年初めての記事😊 「阿修羅のこと」 そして、今年はどんな年にしようか?

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   今日は、2018年1月13日。二十四節気では、小寒(1月5日)と大寒(1月20日)のほぼ中間ということになる。ここ二、三日は本当に寒くて⛄️、テニスやらウォーキングするのもつい億劫になってしもてたんやけど...

   今朝は、休みということもあり、7時過ぎまでグッスリ寝てた😳。 でも、天気そのものは寒いけど快晴で風もなかったので、少し遅いけど、ウォーキングに出かけようと思った。

   いつものように朝食の準備をして食事を済ませてから昆陽池公園に出かけた。寒さ対策は万全にと思い下はスェットジャージの下にタイツを履いて、靴下を2枚重ねて履き、上はUNIQLOで買ったヒートテックの長袖タートルネックシャツの上にジャージとスエットパーカーを重ね着して、更にその上から学生の時に買ったSt.Christopherのテニス用ウィンドブレーカーを羽織って、手袋も2枚重ねて嵌めて出かけた...なんか、モコモコしてしもて動きづらい気がしたけど、歩いてる時に手の指先や足先が冷たくなると辛いので仕方がない…

   去年の年末の23日にブログを更新してから、あれよあれよという間に、新年を迎えてしまい、さらに2週間も経ってしもた(≧∀≦)

    ただ、何を書けばいいのか悩んでて、ずっと気にはしてたんやけど...音楽の話しも、中途のまま終わってて(≧∀≦)

    それで今朝、ウォーキングをしながら考えてたんやけど、普段、本や新聞を読んでは、書込みしたり、記事を貼り付けたりしているノート📓をブログで公開してもいいんかな?とか...

    ニーチェの哲学のことなんかも書いてみたいなとか...

    でも、とりあえず新年始めのブログは、一昨年の12月23日に見に行った奈良の興福寺の阿修羅像について書こうと思った。

    阿修羅像は、それまで本でしか見たことがなかった。4年程前に復職支援施設で知り合いになった人と通院する心療内科が一緒でたまたま病院で一緒になった時に阿修羅像の話をしたんやったと思う。それで本物を見てみたくなって一番初めの上司と一緒に見に行ったんやった。

    初めて像を見たときの感想は、細くて華奢やなぁ😅って思ったのと、背の高さも153.4cmということなので圧迫感もなく、まさに紅顔の美少年😅。そして何よりもその顔の表情に魅せられた…

   眉間を寄せて少しつり上がった両眼。その眼は何を見ているのか…遠くのものを見ているようにも見えるし、何かを思い詰めているようにも見える…小さな口をキリッと閉じて両手を胸の前で合掌するその佇まいからは、胸に秘めるただならぬ意志や想い、あるいは憂いみたいなものを感じざるを得ない。

   「何かを後悔し、悔い改めようとしているのか?」とか「仏教の守護者としての想いみたいなものを体現しているのか?」とか想像力を働かせるんやけど…よくわからなかった。

   そこで、興福寺の土産物屋さんで購入した本の中から読んでみて興味深かった内容を書いてみようと思った。                

   ー以下の記事は「阿修羅を究める」より。ー

  「阿修羅は古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラはもともと「戦闘の神」で、激し    い気性の持ち主である。

   鎌倉時代の「北野天神縁起絵巻」には、阿修羅による戦いの場面が描かれている。阿修羅は手に弓と矢を持ち、牙を上に向け三つの顔と六本の手を持つ。一番上の手には太陽と月をシンボルとして持ち、身体は怒りを直接表すように赤く塗られている。

   阿修羅の戦う相手は、インドの神々の中心であるインドラ(帝釈天)である。しかし、阿修羅は帝釈天にどうしても勝つことができず、戦うことの苦しみを負うことになる。苦しみは業となり、阿修羅道として、地獄道、餓鬼道、畜生道、人道、天道とともに六道の一つに数えられ、畜生道と人道の間に位置付けられる。人間は心の中でさまざまに葛藤し、絶えることのない苦しみを持っている。阿修羅は人間の心の業を象徴的に表しているともいえる。

   古代インドの神々と同様に、阿修羅も仏教が成立し発展してゆく中で、仏教の中に取り入れられ、仏教に敵対するものを威嚇し退散させる守護神としての役割を持つようになる。

   阿修羅の帝釈天に挑む激しい戦闘の力は、仏教に対抗する者に向けられるのである。

   このようなインド神話に由来する「戦闘の神」としての阿修羅は、すでにふれたように怒り顔、三つの顔、六本の手、赤い肌で表すのが一般的である。

   興福寺の阿修羅像も形は同じであるが、表情からは怒りがまったく消えている。戦う神としての激しさはまったく見られない。(「阿修羅像の意味するものー興福寺阿修羅像の美と形」金子  啓明著より抜粋)

    おそらく、たがいに眼をいつまでもジーッと見つめ合わせていられるのは、たがいに信じ合い、愛し合い、哀しみ合っている者同士ではないだろうか。

    阿修羅の場合、阿修羅のまなざしを「見ている」ときは、それは遠くをはるかにやさしく見ているようなまなざしに見える。しかし、真正面からそのまなざしとかち合うと(あるいはそのまなざしに射すくめられると)、それは深く貫き通すようにきびしいまなざしに見える。阿修羅はやさしいまなざしときびしいまなざしの二つを持っている。

    阿修羅はなぜ、やさしくだけでもなく、きびしくだけでもなく、二つの相反するまなざしを持っているのか。それこそが堀辰雄が「切ないまなざし」と表現した理由なのではないか。

   「切ない」とは、心に深く感じ、悲しさ恋しさに胸がしめつけられるような気持ち、息苦しくなるようなおもいをいう。

    この阿修羅はなぜ、こんな切ないまなざしをしているのだろうか。あるいはこの切ないまなざしは何を意味しているのだろうか。それは、おそらく阿修羅が「人間の奥深くにある」悩みや悲しみや苦しみを受け止め、ともに悩み、ともに悲しみ、ともに苦しんでいるからではないだろうか。

    この阿修羅のまなざしは、人間を慈しみ救う慈愛や救済のそれではない。慈愛の目にみち救済の手をもった仏たち、観音や菩薩や如来はほかにたくさんいる。

    阿修羅のまなざしから伝わるものは、たとえ慈しみ救うことはできなくても、ひたすら苦悩を共にしようという「共苦」、悲しみを共にしようという「共悲」の意志である。

    阿修羅はもともと六道という悩みや苦しみ悲しみの世界に住んでいる鬼神という。だからこそ、人の悩み苦しみ悲しみを共にしてくれるのではないか。

    阿修羅は高い所から慈愛をたれたり、救いの手を差し伸べるというのではない。弱く愚かで罪深い私たちの傍にいて、ひたすら苦しみを苦しみ、悲しみを悲しんでくれるのである。だから、こんなにも「切ないまなざし」をしているのである。(「阿修羅と現代人の癒し」立川  昭二著より抜粋)

  

    紀元後四世紀ころ、土着の古神たちと結びついたバラモン教は、様相、内容も新たにヒンドゥー教として台頭する。

    その精神の中核となるのが、インドの二代叙事詩、「ラーマーナヤ」と「マハーバーラタ」である。その原形は紀元前二世紀頃に形作られた。「マハーバーラタ」はヒンドゥー教の興隆とともに、全18編;約10万の詩句からなる大叙事詩として、約六百年をかけて完成された。戦史に神々の物語や、民間説話が加わったものである。

    インドラは世界を支配して驕りたかぶり、傍若無人の振る舞いをするようになった。インドラの威光は陰り、神々とアスラの戦闘が始まった。神々は押されに押された。神々は、母がアスラではあるがヴェーダをマスターした若き聖人ヴィッシャルーパのおかげで助かった。だが、インドラは彼の出自を危ぶみ、後顧の憂いを断つべく最強の兵器ヴァジラー(雷光)で彼を殺害してしまう。ヴィッシャルーパの父トワシュタは復讐を誓い、盛大なヴェーダの祭りを催した。

    その聖火の中から出現したのが勇者ヴリトラである。不死身のヴリトラ率いるアスラと神々の戦いが再燃した。さしものインドラも攻めあぐね、神々の敗勢は明らかになった。いったんは和平した神々とヴリトラだが、ヴィシュヌ神の協力を取り付けたインドラと、海辺で両雄最後の戦いが始まった。

    はてしない激闘も、ついにインドラ得意の武器、ヴァジラーで決着がついた。彼は、ヴリトラの唯一の泣き所、口の中に雷光を打ち込んだのである。以後、インドラはヴリトラを殺した英雄=ヴリトラ.ハンとも呼ばれるようになった。しかし、欺瞞に満ち、卑怯な振る舞いの多かったインドラはやがて名声を失い、世界の王の座を退去した。

    ヒンドゥー教の世界では、アスラは神々と戦い敗れた魔神である。だが、インドラなどヴェーダの主だった神々も力を失ってしまった。ときは流れ、時代の覇者クリシュナ=ヴィシュヌとルドラ=アスラの出現である。ルドラ=アスラは山岳信仰と合体し、シヴァ神に変貌を遂げる。(「阿修羅とは何か」ー古き神々の没落      森谷   英俊著より抜粋)

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2017.12.24(日) クリスマスイブ、聖なる夜に思うこと...(≧∀≦)

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「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう...

silent night  holly night♬

 きっと君は来ない...一人きりのクリスマスイブ

...」                  ♬  山下達郎「クリスマスイブ」

 

    今日は、12月24日。クリスマスイブや🎅

    前回の更新から、約1カ月も経ってしまった(≧∀≦)

    音楽の話、特にサックス🎷を習ってた頃の思い出について書かなあかんあかんって気になってはいたんやけど、ついつい先延ばしにしてたら、いつのまにか今日を迎えてしまった(≧∀≦)

   でも、今日は、音楽の話しよりも、別のことについて書こうと思った(≧∀≦)

    今朝は、5時半に目が覚めて冷蔵庫の中にラップをして冷凍保存してある、ご飯の塊を探したら切れてたので、昨日買ったキヌアを1合と白米を3合の割合で、ご飯🍚を炊いた。その間に、鯖を焼いて、納豆を作り、あさりの味噌汁を作った。我ながら、随分と料理の手際が良くなった気がして嬉しいのやら悲しいのやら、よう分からん気持ちがした(≧∀≦)

    今日の天気予報では、昼頃から次第に天気が悪くなるとのことなので、尼崎のテニスは諦めるとして朝のウォーキングと昼からダンスのレッスンを受けるつもりで、昆陽池ウォーキングに出かけた。案の定、どんよりとした曇り空やったけど、冷たく澄んで、ピーンと張った空気が気持ち良かった(^^)

    いつものことやけど、iPhoneで好きな音楽を聴きながら歩いてて考えを巡らせていたら、「そやそや、前回から随分と時間が経ってしもたし、しかも今日はクリスマスイブ🎄やねんから、クリスマスイブの思い出について書いたらいいやん!」と思い立ち、歩きながら、ずっと何を書くか考えてた(≧∀≦)

   でもクリスマスに関しては、 今まで特にいい思い出はない(≧∀≦)    昔(遥か太古の昔...というほどではないがかなり昔(≧∀≦))に付き合ってた女の子とも、特に一緒に過ごした思い出はないし、たいがい、いつも一人で、この日が来ると「早く、過ぎ去ってくれたらいいのに...」って布団に潜り込みながら思ってたと思う...

    もっとも、もうクリスマスイブだ、へちゃくれだのと騒ぐ年齢はとうに過ぎたんやけど...

    ただ、そんな私にも、たったひとつだけ忘れられないクリスマスイブの想い出がある(≧∀≦)

   あれは、確か、大学4回生のことやから31年前か...

   当時、アルバイトを通じて知り合った女の子を好きになって、クリスマスイブの前日に思い切って、電話で「会って話がしたい」ってお願いしたんやけど...あっさり断られてしまった(≧∀≦)

    実は、翌日のクリスマスイブの日から、友達に紹介してもらった、長野県白馬五竜とおみのスキー場のレストランに1カ月ほどの予定でスキーを兼ねたアルバイトに行く予定にしてたの

で、しばらく顔を見ることが叶わないから会って欲しいとお願いをし、そして告白をするつもりでいたんやけど...その願いが叶うことはなかった(≧∀≦)

   翌日のクリスマスイブには、夜に梅田の確か、今のヨドバシカメラ辺りやったと思うんやけど、長野のスキー場行きの夜行バスに一人で乗り込んだ。乗り込んだは、いいけど...バスの中はカップルばっかり(≧∀≦)

    私の席は、一番前の運転手のそば...

    当時、どんなことを考えてたんかはもう忘れてしもたけど、話し相手もおらず「楽しいハズがない!」わな(≧∀≦)

     そんなんで、とっとと寝てしもたと思うんやけど、苦労はそれだけではなかった(≧∀≦)

     翌朝(とは言っても、まだまだ暗かったんやけど)にバスを降りて、重たい荷物とスキー板を担いで、JR大糸線の「神城」って駅からバイト先のレストランを探して雪道(しかも登り坂)

をテクテクと歩き出した。道の両脇は、レストランやペンションが立ち並んでて、それらを物色しながら歩いたんやけど...

なかなか、目的のレストランを見つけられずに往生して、ヘトヘトになりかけの頃に、灯りの見えたペンションに飛び込んで、目的地がどこか尋ねたと思う(≧∀≦)

   そしたら、目的地は、目と鼻の先、飛び込んだペンションの斜め前の建物であると分かり、その場にへたり込みそうな気分になったん違うかったかなぁ?

    気をとりなおして、目的のレストランの正面玄関(ゲレンデ側)に回り、ようやくたどり着いた(^^)

     レストランのオーナーの奥さんがニコニコしながら出迎えてくれて挨拶をした。綺麗な明るい性格の30台半ばくらいの人でなんかほっとした気持ちになったと思う...ちょうど、ゲレンデを見渡すと、朝日が昇り始めてて、とても綺麗な朝やったなあ〜(^^)

    レストランは、実は、オーナーが自身で設計したもの。コンクリート打ちっ放しの確か地下1階を含む3階建で、1階がレストランと厨房に裏手には食材の倉庫なんかのスペース。地下1階は、風呂場やら、スキー板のメンテナンスなんかを行なうスペースに、みんなが集まってくつろげる6畳くらいの部屋ががあって、2階部分が寝室やら、オーナーの仕事部屋があったん違うかったかなぁ❓随分と昔の話しやから、正確には覚えてないんやけど...😅レストランのフロアは、真ん中にペチカがあって、それを丸く囲むようにカウンター状のテーブルがあって、その周りの他のスペースには6人掛けくらいのテーブルがいくつか配置されてたと思う(≧∀≦)

テーブルと椅子は、赤と黒を基調としたものでイタリア🇮🇹から取り寄せたものと教えてもらったと思う。さすが建築家だけあって、インテリアにもこだわってはった。

    オーナーは、スキーのシーズン以外は、明石市の建築事務所で一級建築士として仕事をしながら、スキーのシーズンになると、家族で五竜とおみにやって来てレストランを経営しながら建築の仕事もこなし、空いた時間にスキーを滑るという、なんとも大変❓あるいは優雅な❓ような生活を送ってはった。オーナーのスキーの腕前はプロ級で、確か、教員の資格も持ってはって、一緒に滑った時には色々と教えてもらった^_^

    まあ、話し出すと長くなるけど、ここのレストランのバイトは、本当に楽しくて、色んな人達...高校生もいたし、もちろん大学生も同じ大学から他の大学の学生もいたし、社会人では、料理家を目指してアメリカで修行を積んでるとかいう人もいたし...実は2年続けてバイトに行ったんやけど、その間に色んな人達と出会い、事件❓エピソード❓もたくさんあって色んな思い出があるんやけど...長くなるから、その話しは別の機会にして、クリスマスイブの話しに戻ろう(≧∀≦)

   そうそう、初日にナイターで滑ったんやけど、その日は、静かでしんしんと粉雪が降り続いてて、とてもロマンチックな夜やった(≧∀≦)

   スキー場の夜の景色...

   ナイターの照明に水分の少ない軽い粉雪が静かに降りしきる夜...周りの樹木の枝は白く雪化粧されてて...

    本当に、おとぎの国に迷い込んだかのような綺麗な景色やったと思う(≧∀≦)

     そんな中、リフトに乗ってたら突然、山下達郎の「クリスマスイブ」がゲレンデに流れ出した...

    今でこそ、もうベタな曲になってしまったけど当時は、確か、JR東海のCMで、深津絵里やったかなぁ❓違うかな❓とにかく、個性的な女優さんが、恋人と離れるのか、どんなストーリーか忘れたけど、駅のホームで列車が走り去るのを見送るみたいなCMに使われてた曲で、まだまだ新鮮やった...

    その曲が流れてきた途端に、何故か目頭が熱くなってしもて...熱い、大粒の涙がとめどなく頬を伝い...

     恥ずかしながら泣いてしまってた(≧∀≦)

     長くなったので、この辺で。

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2017.9.24(日) そして再び...

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「人生の途上で起きることすべては、必然。一切を受け入れて行く必要がある。なぜならば、それが人間の人生だからだ。」

                   「マンガで分かるニーチェ」より。                       

    今日は、9月24日。昨日が秋分の日やから、いよいよ本格的に秋を迎えることになる。

   今朝は、5時半に目が覚めたけど...

   昨日受けたパーソナルトレーニングダンベルを持って大股でランジの姿勢をとりながら歩かされたのと、細かく振動するマシンの台座の上で重りを持ちながらスクワットさせられたんが効いたんか、太腿から脹脛にかけて軽い筋肉痛というか怠さを感じる(≧∀≦)。

   それでも、やはりもう習慣になってしまったので昆陽池ウォーキングに出かけた。「朝食を済ませてからにしよかな?」って少しだけ躊躇ったけど、日が完全に昇りきるとまだまだ暑いので、少しでも気持ちの良い涼しい空気を求めて出掛けた。

    今日は快晴で、風もなく穏やかな朝やったなあ〜😊

    気持ち良くて、途中、西野カナの「私たち」を聴きながら大声で歌って歩いてたら、通りすがりのおじいちゃんに、変な目で睨まれたけど、そんなことは意に介せずに唄い続けた(^ν^)まあ、私にとっては、昆陽池がカラオケ場みたいなもんなんで...

    1時間半ほど歩いて、家に帰ってシャワーを浴びてから朝食にした。今日のメニューは、玄米と白米を2対1の割合で炊いたご飯に、納豆、鯖の塩焼き、アサリの味噌汁にヨーグルトにチアシードを混ぜたもの。最近は、この組み合わせが朝の定番になりつつある(≧∀≦)

     朝食を済ませてから台所の洗い物をして、トイレ掃除に、リビングと奥の和室に掃除機をあててからイオンモール昆陽に晩飯の材料と明日の昼の弁当用にバゲットを買って帰宅。

    それから忙しなく、ダンスに出掛ける準備をした。

    いつもは1時間のレッスンを2本受けるんやけど、今日は、17時から3時間、テニスの予定を入れたのでダンスは、14時から15時までにしてその後テニスの会場である尼崎の西長洲町にあるスポーツセンターに向かった。

    ただいま、16時58分。今からテニスやから、この続きは後で...  

    テニス終わった〜。ただいま、20時48分。阪神尼崎駅の宝塚行きのバス停前。虚しく、目の前を宝塚行きのバスが出発してしもた(≧∀≦)

    信号待ちしてるのと鉢合わせになって思わず運転手を見つめたんやけど、腕でバツされた(≧∀≦)

    ついてないなぁ〜m(__)m仕方ないから次のバスを待ちながら続きを書くことにした。

    そうそう、テニスは、先々週から尼崎のテニスショップが主催してるサークルに参加させてもらってる(^-^)v

     今日は、17時から、コート3面で20人位かな?で1時間練習と2時間は交代でダブルスの試合をした。交代とはいえ、結構走り回るから、私には少しハードに感じた(≧∀≦)

    試合中に何回か転んでしもて気がついたら左手のひじを擦りむいて血が滲んでるm(__)m

    うわー(๑˃̵ᴗ˂̵)、今バスの中やねんけど、私の右斜め前方の座席にメチャクチャ綺麗な女の人が座ってる...(//∇//)しかも、なんか楽器を抱えてはる❗️何の楽器やろー?サックスにしてはケースが小さ過ぎるから、フルートかな?二胡とかかな?それにしても、こんな綺麗な女の人、久しぶりに見たなあ〜(//∇//)  でも眠いみたい...ウトウトして、目がトロンとしてはる...オリーブグリーンのシャツに白のスカートにグレーのランニングシューズみたいなん履いてはるけど上品な感じやなぁ(*≧∀≦*)健康的な小麦色の肌に瓜実顔で、少し鉤がかかった高い鼻筋がスーッと通ってて、黒い髪は後ろで束ねてポニーテールにしてはる(//∇//)

    若い頃の、浅野優子に似てるんかな?

   もう完全に寝てはるわ...よっぽど疲れてはるんやろな〜

   話しが逸れた(≧∀≦)。

   今日のテーマは、再会。実は、一昨日の金曜日の夕方に、昔の部下、私にとって最初で最後の部下やった男に再会した。

   部下言うても、彼の方が職場は古かったし、抜群に優秀な男やったから私は全く頭が上がらんかったけど...

    彼は、4年前に職場を辞めてた。私が休職中で知らない間に別れの挨拶のメールが来てて、メールを見つけた時にはビックリしたし、優秀な人やったから上司とケンカでもして辞めることにしたんかな⁇とか、実はとても気になってたんやった(≧∀≦)

    ところが、職場が同じやった別の人に彼が弁護士になってることを聞いて、またもやビックリさせられたんやったm(__)m

    なんか、一緒に働いてた頃は、「僕は、夜、遊ぶんです(^-^)v」とか言ってて、男前やし女の子にもモテるやろから「夜の蝶なんやろなぁ」って真に受けてたら実は、仕事が終わってからロースクールに通ってたんやな(≧∀≦)

  「完全にやられた..」って感じやけど、彼らしいと言えば彼らしいm(__)m

    スポーツマンで、頭が良くて、男前で、しかも性格も良いときたらもう完璧です(*≧∀≦*)

    そんな彼を、神戸三宮の中心街から、海側に少し外れた旧居留地にある落ち着いた雰囲気の事務所に訪ねた。とても重厚な感じがして「昭和の時代?大正ロマン?」を思い出させるレトロな雰囲気の建物の2階の事務所に彼は居た。インターホンを鳴らすと、これまたとても綺麗で上品な感じの女性が応対してくれ、彼はすぐに来るからと応接室に通してくれた。

   女性が入れてくれたコーヒーを飲んでいると彼が現れた。「お久しぶりです。」とてもにこやかに、落ち着いた口調で彼はそう言った。

   私は、本当に嬉しかった。ずっと気になっていたけど、「彼に会うことはもうないのでは?」と思っていたから。頼もしい仲間が、また1人増えた気もしたし、昔の同僚に再会できるのって本当に嬉しい(o^^o)

     彼は、紺の三揃のスーツを着て、胸には弁護士のひまわりバッジをちゃんと付けてはる。(当たり前か...)  (^_^;)

   もともと、スポーツマンやけど、今もスリムな体型はそのままに維持してやった。ライオン丸みたいなロン毛も当時のまま。変わっていたのは、つい最近、沖縄に遊びに行ったらしく日焼けしてたこと位かな?

  「人は見た目が9割」とか最近では言ったりするそうやけど、確かにあれだけピシッとされたら「頼り甲斐がありそう❗️」って思ってしまうわな。。。

    ほんでやっぱりスポーツマンは、優しかったり、礼儀正しかったりするから信頼できるし。。。

    彼とは、昔話やお互いの近況報告をし合って、今、少し気になっていることについて相談に乗ってもらった。

    あっ、そうそう、彼にこのブログや、描きためている絵やダンスの動画、普段持ち歩いているノートなんかをを見てもらったら、「忙しいですね…一体、何を目指してはるんですか?」と問われた。

     そんなことを聞かれても…

     返答に困ってしまった。何を目指しているわけでもないんやけど...残りの人生の時間を悔いの残らんようにって思っているだけで…

      ニーチェが言うように、「人生の途上で起こることは全て必然」であるならば「人との出会いも然りなんやろうなぁ」って思った。神様がおるんかどうかは知らんけど、何か目に見えない力が働いていて、「お前は、このタイミングでこの人と会っておきなさい」って采配されているような気がする…

    だって、休職してアルコール依存症に陥っていた時には、今の主治医や保健師さんに出会って助けてもらい、去年の年末には一番最初の尊敬する上司と再会を果たし、今年に入ってからは、昔、同じ職場やったり、世話になった先輩方たちとも合流し、7月には、もう会うこともないやろうって思ってた大学のテニスサークルの同期たちとも再会出来た(^_-)

    そして今回は、私にとってたった一人の部下だった男とも再会できたんやもん。。。

     きっと何か、大きな目に見えない力が働いてるん違うんやろか⁈

    長くなってしまったので、今日はこの辺で…

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先生への手紙 No.1 (2016.8.28 日)AM9:30 自宅にて)

f:id:kazu7804:20170104214732j:image先生、いつも感謝しております。なんとか無事に職場の試し出勤も終えれそうです。

ここまで私が、立ち直れたのは本当に先生及び、市役所の保健師さんが私を支えてくださったお陰であると肝に銘じております。お二人の存在がなければ、今頃、私はどうなっていたことやら想像するだけで恐ろしくなります。

今日、こうして手紙という形式を取らさせていただいたのは下記の理由があります。

1.発達障害を抱え、口頭だと伝えたいことが漏れてしまう。

2.文章という形で記録に残す。(書いたことには責任を持つ。)

3.先生の許可をいただければ、この文書をブログにして公開する。

<植松  務氏のTEDでのプレゼンテーションを見て>

 先生、どうも貴重な情報提供、ありがとうございました。植松さんのプレゼンテーションを見れたのも私にとっては成果だったのですが、世界の最先端の現場で活躍されてる方々のプレゼンテーションが見れるTEDというソースがあるということを知れたのも私には大きかったです。今後、TEDで自分の興味のあるプレゼンを見ていこうと思います。

 植松氏のプレゼンを見ての感想ですが、とても感動しました。

 植松氏は、小学生の頃に学校の先生に自分の夢に対して、「どうせ、お前には無理」という言葉の暴力によって心を傷つけられたと語っておられました。私にも似たような体験があります。私の場合、それは今の市役所に入って5年目か6年目の頃だったと思いますが、上司の「ダメな奴はいつまでたってもダメ」そんな言葉を耳にしました。それを聞いたとたん、仕事を頑張る気が失せました。「どうせダメなら努力する必要ないじゃん」って感じです、植松氏は、「どうせ無理」という言葉を人の夢と可能性を奪うものだとおっしゃってましたが、私の場合、それが「ダメな奴はいつまでたってもダメ」という言葉でした。その時は、何も言えませんでした。しかし、アドラーの教えを知った今、思うことは果たしてその上司は、汚い言葉で部下を罵ることが教育だと思っているのか?そんな言葉を発する以上、自分はどうしたらいいのか解決策を当然持っているのか? 仕事で何かミスがあったのなら、部下と一緒になって原因を探り今後、同じミスを繰り返さないように解決策を一緒に考えるのが上司の責務ではないのか?自分にも大した考えもないくせに、部下を一方的に汚い言葉で罵って、それで上司の責任が務まるなら上司なんか必要ないではないか?なぜなら、部下に自信を失わせ、その可能性を摘み取って、ふんぞり返っているような上司、はっきり言って必要ないのではないか?否、職場にとって害ではないか?...そんなことを思いました。

 それから、植松氏が語っておられたことで、もう一つ感銘を受けたのは、「中途半端っていうのは何もしないよりずっといい。人はみんな何かが足りない存在なんだ。だから、足りないことを恥ずかしがることはない。足りないところは、お互いに補いあえばいい。今日、助けてもらったなら今度、自分のできることで返せばいいんだと...」

  これは、まさしくアドラーの提唱する「共同体感覚」に近い発想ではないんでしょうか?

 お互いの違いを認めつつ尊敬し合い、互いに足りない所は補い合って、そのことで共同体への貢献を通じて所属感(=幸せ)を得る。

 植松氏が言いたいのは、まさしくアドラーのいう「共同体感覚」なのではないか?そんなことを感じました。

 アドラーは、人間社会の全てのコミュニティにおいて上下関係をなくし、縦の支配・被支配の関係から、横の全ての人が対等で、互いに協力し合う関係へと変換すべきだと言っていると思いますが、私も同感です。なぜなら、やはり今の職場でも権力志向、エリート意識が強くて、自分の支配欲を満たすために出世を目指す人が少なからずいると思うからです。(簡単に言うと、高い役職に就いて偉そうにしたいだけ?)

  私自身も、係長という役職に就いていましたが、もうそんな出世競争に加わるつもりは毛頭なく、幸い? 発達障害を抱えているということもありますので、復職時には、係長を辞退して平凡な一職員に戻ります。

 この件に関して、先生に教えていただいたTEDで興味深いプレゼンを見つけました。マーガレット・ヘファーナン氏の「職場の順位制をやめよう」というプレゼンです。もし、ご興味がおありでしたら一度、見てください。

<私自身の能力開発について>

  先日(8月23日)の面談で、少しお話ししましたが、今、私は自身の能力を開発してみたいと本気で考えております。(理由は以下です。)

1.発達障害者ならではの弱点をカバーしたい。

2.つまらないエリート意識を持った人間にバカにされたくない。(偉そうにするやつに負けたくない❗️)

3.自身がどこまで行けるのか試してみたい。

 人間の脳は実は数パーセントしか使われておらず、残りの脳の使い方も分かっていないという考え方があると先日、お話ししました。もし本当ならトレーニングの仕方によっては、飛躍的に能力を向上させることが可能になるかもしれません。試してみる価値は十分にあると思いました。

 それから、思ったのですが大事なのはインプットとアウトプットを絶えず繰り返すことなのではないかと...多くの人は、インプット(情報の脳への入力)は、たくさんするけどアウトプット(入力したものを何らかの形で表現する。)が足りていないのでは?と思いました。例えば、芸術家と言われる人たち。楽器演奏者ならば脳にインプットした楽譜という情報を指や口を使ってアウトプット(表現)しています。絵描きならば、目で見たり頭の中で想像したものをキャンバスに表現していきます。要は、それと同じなのでは?と思うのです。アウトプットを行うことによって入力された情報が単なる知識ではなく理解されたものとして頭に定着する...(当たり前のことなのでしょうか?)一度、「理解されたもの」は、他の「理解されたもの」は、他の「理解されたもの」と組み合わせが可能となり、そこから新しい価値やらアイデアが生まれる...そういうことなのではないでしょうか?

  この件に関しましては、堀江  貴文氏が自身の著書「本音で生きる」の中で以下の通り話されています。ー以下、当書の抜粋ー

「今の時代、アイデアに価値などなくなっている。あらゆる情報やアイデアは出尽くしていて本当の意味での画期的なアイデアなど滅多にない。必要な情報があればネットを探せば大抵見つかる。ビジネスアイデアにしても、自分の頭の中だけで無理矢理ひねり出そうとしても大したものが出てくるわけがない。しかし、世の中にはアイデアが溢れており、それらを組み合わせてまとめるだけで新しいアイデアなど簡単に生み出すことができる。」ー 「本音で生きる  」P149〜150

「もし、僕が他の人と違って見えるのであれば、それは情報の量だと思う。僕は、きっとあなたが普段見ている情報の量と、桁が一つ違うくらいの量の情報を見ていることは断言できる。大事なのは圧倒的な情報量とその処理数なのだ」ー 「本音で生きる」P151

「さまざまな分野に興味を持って、膨大な情報を取り入れるという作業をずっと繰り返しているうちに自分にとって良質な情報が感覚でわかるようになるとしか言いようがないのだ。」ー 「本音で生きる」P153

「そんなにたくさんの情報を取り入れたら、頭がパンクしませんか?と聞かれることもある。ここに多くの人の誤解がある。個々の情報は記憶するのではなく浴びればいいのだ。」ー  「本音で生きる」P155

「大量の情報を脳という引き出しにいったん全部詰め込む。そうすれば何かのきっかけで引き出しの中の情報と情報がパッと繋がって新しいアイデアが生まれる。起業のアイデアなど、頭を捻って考えるようなものではない。情報のシャワーさえ常日頃、浴びるようにしていれば、アイデアはいくらでも湧いてくる。」ー「本音で生きる」ー P155〜156

「毎日脳にインプットする情報量がしきい値(境界となる値)を超えると、脳の中で情報のネットワークが生まれて、なんらかのアウトプットを発するようになっているのかもしれない。」ー 「本音で生きる」P157

「脳の情報処理能力に関してもちろん多少の個体差はあるだろうが基本的に神経網の仕組みは人間ならほとんど同じだ。膨大な情報を与えれば、誰でも脳内で情報の結びつきが生まれると僕は考えている。」ー 「本音で生きる」P158

「大量の情報が脳に定着し、なんらかのきっかけで情報同士の結びつきが生まれる。このプロセスを最大限効果的に行うには、アウトプットすることと自分で考えることの繰り返しが欠かせない。」ー 「本音で生きる」P158

 

以上のように、堀江氏の見解を抜粋させてもらいましたが、表現やら多少の違いはあるにせよ、私が考えていることと似ているのではないでしょうか?これからの時代は、単なる知識が豊富なだけではダメ(スマホさえあれば、大抵の情報は難なく手に入る。)で本当に理解されたものとして脳に定着したものをどんどん増やし、それらを組み合わすことによって新しい価値を生み出す、そういうコーディネート力を持った人が強いのではないでしょうか?そのためには、圧倒的な情報を浴び、自分の頭で考えて、何かの形でアウトプットしていく。それの繰り返ししかないと思うのです。

  それで私が今、トレーニングとしてしていること、あるいはこれから始めようと考えていることを以下に書きます。(先生の意見や助言が頂ければ幸いです。)

1.できるだけウォーキングを行う。(好きな音楽を聴きながら歩くと普段考えないような考えに思いつくことがある。)

2.自分の思考を出来るだけ、言葉ではなく図化してノートに書いてみる。(物事の本質を見抜く訓練)

3.簡単なイラストを描く練習。(下手でもいいんです。上手くなる必要はない。要は頭と手を連携させて使うことが大事だと思います。)

4.最近、始めたダンスを可能な限り続ける。(ダンスは楽しいし、あらゆる身体能力(筋力、柔軟性、瞬発力、俊敏性、等...)を問われます。なので、理想的な身体作りを目指すならベストなスポーツだと思います。それから、頭を鍛えることと、身体を鍛えることは別物と考えられがちですが、実は、同じというか相互依存の関係にあるのではないかと考えています。「にわとりが先か卵が先か」という議論になりそうですが、僕は身体を鍛えるのが先だと考えています。いくらハイスペックなソフトウェアを準備しようが、それを使いこなせるハードウェアが必要なように...

  身体をまず鍛えて、頭も自分で考えることを続けていれば、自ずと身体に見合った頭が出来上がるんじゃないか?そんな気がしています。このことに関しては、千田琢哉という方が、著書「筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか?」の中で、こんなことを言っています。

「昔の哲学者たちは筋骨隆々で描かれることが多いが、あれは偶然ではないと思う。肉体を鍛えることと、知力を鍛えることは同じなのだ。否、肉体を鍛えると必然的に知力を鍛えたくなるものなのだ。」ー 「筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか?」P84

 「あなたは、子どもの頃から比べると、大人になってから随分頭が固くなったのではないだろうか?頭が固くなるのと比例して、体も固くなっているはずだ。否、体が固くなるのと比例して、頭も固くなったのだ。つまり、頭の状態と体の状態は常に一致しているということになる。大人になったから頭が固くなったのではなく、体が固くなったから頭が固くなったのだ。ー  「筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか?」P86

「体がクニャクニャして柔らかいと、自分の機嫌も良くなってくるから枠にとらわれない変幻自在な発想が生み出されるのだ。」ー「筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか?」P87

5.ブログを書いて公開する。(ブログを書くということは、日々、感じたことを文章という形でアウトプットするので訓練になる。また、自分の思考を記録に残すことによって、後で思考の経過を振り返ることが出来る。)

6.スマートフォン、PC等のデバイスを駆使して、楽しみながら有用な情報収集に努める。(あくまで楽しみながら、自分の世界を広げるつもりで...)

  長くなってしまいました。本当は、アドラーについて自分なりに思うことを書いてみたかったのですが、またの機会にさせていただきます。

  ありがとうございました。