中林一仁

2018.4.1 いよいよ新年度が始まった(^^)

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   いよいよ新年度がスタートした...

   なかなか、書くことがなくて、更新できずにいたけど、そろそろ無理にでも書かないとと思って、ペン✒️を取った...(この表現はおかしいけど...)

   実は、昨日、母親を羽曳野市の古市にある歯科医院へ連れて行ってきた。というのも、この15年くらい、ずっとドライマウスに悩まされてはって、宝塚や尼崎の病院で診てもらってはいるものの、なかなか良くならないみたいなので、いい病院がないか探してた(≧∀≦)

   宝塚の病院では、シェーグレン症候群と診断されてるんやけど、これがなかなかの難病らしいのと高齢で唾液が少なくなってきているのもあるやろし、食べ物の好き嫌いが激しい人なので、そんな諸々のことが重なってるんやと思う。

    インターネットで病院を探して、たまたま検索結果でトップに出てきたのが、くだんの病院。早速、先週の土曜日に連れて行き、血液検査を受けさせて結果が出るというので昨日、連れて行ってきた。検査結果の説明を医師から聴き、ほぼ原因と思われるものが判明した。シェーグレン症候群の良い薬もあるとのことで、それらの薬を処方してもらった...

    まだ、経過を見ないとなんとも言えないけど...これまで受診してきた病院はきちんと診てくれてたんかな⁇と疑問に思う(≧∀≦)ほんと、少しのことで15年も苦しまずに済んだかもしれないと思うと母親が気の毒に感じたのと、もっと真剣に探してあげてたらよかったと少し後悔した(≧∀≦)まあ、でも後悔しても始まらんし、良い病院が見つかったということで良しとしよう👌(少し遠いねんけど...)

   病院を後にし、ちょうど昼前だったので、どこかで昼御飯にしようということになった。

   ちょうど桜🌸の見頃を迎えていたので、大阪城に行って、そこで花見がてら昼御飯にしようと近鉄阿倍野橋で、百貨店に入り、二人とも海鮮チラシ寿司を購入。それを持って大阪城公園駅で電車を降りた。すると、すごい人出...

(≧∀≦)花見に来てる人達だけではなく、大阪城ホールでコンサートがあるらしく、開催スタッフと思しき人達が、プラカードやら、マイクやらを持って、ぞろぞろ歩く人達を誘導してはった。若い女の子が多いので、何のコンサートかな?と思い、本丸の方へ歩いていく道すがら、二人連れの女の子に聴いてみた。すると、「sexy zone」というグループのコンサートがあるという。どうやら、ジャニーズ系の若い男の子のグループらしいということで納得。でも、私の中のジャニーズと言えば、SMAPTOKIO、嵐くらいから全く更新されていないので、「へえーっ...」って感じ。全然知らんけど、とにかくジャニーズの若手というだけで、こんなにも若い女の子が集まるんやって少し驚いた(°_°)

   城の内堀の外側にある芝生のエリアに配置してある御影石みたいなんに陣取り、チラシ寿司を食べた(^^)

   天候も穏やかに晴れていて、ときどき吹く風に桜の花びらが散る様はほんとに優雅。周りの人達も楽しそうに談笑してたり、酒盛りをしてたり、ご馳走に舌鼓をうってたり...

   久々に大阪城に来たけど、なかなか良いなぁって思った。

   でも、一見、長閑で平和に見える周りの景色とは裏腹に、今、少し気になっていることがあって今日は、そのことについて書いてみようと思った(≧∀≦)

   それは、経済格差のこと。相変わらず、本は常に持ち歩いていて、何冊か並行しながら読んでるんやけど、その中に、「護られなかった者たちへ」NHK出版   中山  七里著という本と、

「新・日本の階級社会」講談社現代新書  橋本 健二著という本がある。

   二冊とも、まだ読み終えてはないけど、ほんとうに社会保障の仕組みを本腰入れてなんとかしないとあかんの違う?と思った(≧∀≦)

   「護られなかった者たちへ」では、役所の予算の制約上のことから生活保護の受給者が保護を打ち切られたり、新規に申請をしても事務的に却下されて受け付けてもらえない、いわば最後のセーフティネットから漏れてしまった人達

の実情が書いてある。私自身も役所に勤めているから、予算の制約や、事務手続き上の整合性やら、予算の最適配分とか分かるんやけど...

 生活保護を求めてる人達にしてみれば命がかかっているわけで...あまりにも事務的な役所の対応に憤る人達の気持ちも分かるし、かといって、限られた予算を最も効率的に使わないとという役所の立場も分かる。不正受給の問題なんかもあるし、役所の審査(≧∀≦)が厳しくなるのも無理がないのは分かる。しかし、本当の問題の本質は、果たして別にある気がしてならない(≧∀≦)  それは、言うまでもなく、社会保障や福祉制度、税制を含む富の再配分など社会システムの構造的な問題。また、税金の無駄使いとか徹底的に見直せば少しはマシになるのではと思うんやけど...(停止している原発の維持費用とか...)とにかく、まだ読み終えてないけど、なんとも切なくやりきれなくなる内容(≧∀≦)   

   それから、「新・日本の階級社会」では、もはや、格差は階級になりつつあるという。経済格差を五段階に分けて考え、その階級が固定化しつつあると。貧乏人の家に生まれた者は、貧乏人に、金持ちに生まれた者は金持ちにという構図が固定化されてしまったという(≧∀≦)。著者によると、最下級のアンダークラス(呼称は著書による。)の人達は、年収が200万にも満たず、結婚して家庭を持つことすらおぼつかないという(≧∀≦)特に、夫と離婚したり死に別れたりした女性の貧困の問題が深刻だそう(≧∀≦)バブル崩壊後の規制緩和政策によって、派遣労働者が増えたり長引く不況で企業が雇用を抑制したりと運悪く、こんな時代に社会に出ていかざるを得ない若い人達が気の毒に思う。

   確かに、ある程度の「格差」は仕方がないと思う。能力の差や、生まれ育った環境、本人の努力、持って生まれた運、etc...

   すべてが平等にというわけにはいかないし、それによって、格差が生じても、ある程度までは容認されていいと思う。ただし、もし、それが、本人がいくら努力しても報われないような社会システムというか構造になってしまっているとしたら...「自己責任」という言葉の下に、時の為政者、権力者によって、それが当たり前のことなのだと思い込まされてしまっているとしたら...

    著者が書いているように、貧困層の家に生まれた者は、充分な教育を受ける機会を与えられず、経済的な理由から進学を諦めたり、中退したりして、充分な学歴を築くことができずに正規雇用の職に就くことを諦めざるを得なかったり、そもそも、労働力を安く買い叩こうと正規雇用を抑制して、企業側にとって都合のいい非正規雇用者を増やそうとするような状況が企業側にあるのなら、それはもう本人の責任というより受け皿の社会の方に欠陥があるとしか言いようがないと思う。 

   こういうことを書くと、自身が恵まれた立場にあるから、上から目線で綺麗事が言えるのだというような意見もあると思う。確かに、私は今、比較的恵まれている方だと思うし、そうだからこそ、こうやって、涼しい顔をして、記事を書いていられるのだと思う。だけど、私自身、充分な教育は受けさせでもらったけども、子供のころは決して裕福な家ではなかったし、むしろ、子供心に、しっかりと世の中には金持ちと貧乏人がいて、自身は後者の方なんだという意識がはっきりとあって、コンプレックスを抱えていた。だから、経済格差のような問題には、敏感になるし、たとえ小さな一声であったとしても、おかしいと感じたら声をあげないと、ほんとうに権力者たちによって、それが当たり前なのだというフィクションを刷り込まれて(あるいは洗脳されて)誰も何も言わなくなるのって本当に怖いことやと思うねんけど...

    新年度の当初に、何やら暗い話になってしまった気がするけど、私自身、不勉強なので、この問題には少しこだわってみたいと思った(≧∀≦)

   長くなったけど、最後に「新・階級社会」から気になったところを引用してまとめさせてもらったノート📔を参考に貼り付けて終わりにしよう...

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2018.3.6(火) ブログ、書くの久しぶり(*≧∀≦*)スランプかも...

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    今日は、3月6日(火)。24節気では、「啓蟄」にあたる。

   一昨日は、ほんとうに暖かくて、夕方のニュースを見てたら25度の夏日になったところもあったらしかったけど、今朝は一転して、かなり寒かった(*≧∀≦*)一昨日が暖かすぎたのと、今朝は曇ってたから余計にヒンヤリと感じたのかも🙁

  せっかく、土の中から這いだしてきたカエルやら、トカゲやら虫たちも、慌てて土の中に戻ろうとしたん違うんやろか?

   でも、待てよ❓❓カエル🐸って、土の中で冬眠する習性なんかあったかな🤔また調べておこう。

    ただ、昼からは晴れて☀️風もなく、少しだけヒンヤリするけど、とても気持ちいい天気になった^_^暑がりな私には、ちょうどいい感じ。

   ただ今、昼の2時。ダンスのレッスン場に向かう途中にあるタリーズコーヒー☕️で、アイスのソイラテを飲みながら、この記事を書いている。今日は、昼から休みをもらい、17時から今までには受けたことのないインストラクターのレッスンを受けてみようと思った。

  最近は、ダンスのレッスンの他にも、バレエのレッスンやら、月に2回だけやけど、絵画教室に通ったりしてて、パーソナルトレーニングも週1であるし、暖かくなってきたので、テニスも再開しんとあかんし、ほんまに忙しい。なんかじっとしてられへんのは、性分なんかな?

   それで、そうそう、このブログも書かな書かなって気にはなってたんやけど、なかなか何を書いていいのやら悩んでた。スランプかな?

   でも、とりあえず、なにか書かないと、ほんとうに書けなくなりそうなので、新年、2回目の記事は、ニーチェの哲学のことを書くことにした。だって、このブログのアクセスを見てたら、私の個人的な意見や主張よりも、何かの本から引用してきたものの方が需要があるというか読まれてるみたいなんで...

  ニーチェに関しては、実は何も知らなかった(*≧∀≦*)ニヒリズムの厭世的なイメージで、独特の世界観で人間を観察してて哲学の世界でも異端児扱いされてるくらいにしか思ってなかったけど、「マンガで分かるニーチェ」を読んでみたら意外にもニヒリズムとは真逆で、「人生」を肯定的に捉えて、「人間がいかに力強く生きていくのか」といったことや、人間の心の奥底に潜む感情に対する鋭い指摘なんかが共感できて好きになったんやった。

  だだ今、18時30分。ダンスのレッスンが終わった(*≧∀≦*)😋さすがに、この時間だともう暗い。

   いつものとおり、東通りを阪急の梅田駅に向かって歩きながら、すれ違う人たちを観察しながら今日受けたレッスンのことを考えてた。

    レッスンは、1時間のJazzの基礎レッスン。

     ストレッチに、アイソレーション、バレエの基礎的な動作なんかも取り入れられてて、最後の20分くらいで簡単な振付を踊らされた。

   案の定、男性は、私以外に誰もおらんかった。若い女の子ばっかり、10人くらいかな?でも、誰からも何も言われないし嫌な顔をされることもない^_^みんな、ダンスのレッスンに一生懸命で他人のことなんか気にしてないんやな。きっと...

    それから、韓国から来たらしい、女の子3人組の中に、一際、綺麗な女の子がおったなあ(*≧∀≦*)

   先生も、片言の英語で、その子らに話しかけてはったけど、反応は薄くて、あまり喋りはれへん。緊張してる感じではなかったけど...

    私も、片言の英語で話しかけてみたいなあって思ったけど、そんな雰囲気ではなかったので辞めておいた(*≧∀≦*)

    まあ、ともかく、レッスンは基礎的なことをバランスよく取り入れてくれてはったし、音楽も自分の趣味に合ってたから良かったと思う。

    ニーチェの話に戻ろう。ニーチェは、1844年から1900年まで生きたそう。わずか、24歳で、スイスのバーゼル大学の教授になったんやけど病弱で教職は、わずかに10年で辞して、残りは病気療養のためにヨーロッパ各地を転々と旅しながら思索と著述を続けたそう。最後は発狂したって聞くし、あまり、恵まれた人生ではなかったんかな?

    実は、あのアルフレッド・アドラーが1870年生まれの1937年没なのでニーチェと生きた時期が重なっている。しかも、よく似たことを言っているので、アドラーニーチェの影響を受けた可能性があるんと違うかな?と思った。そして、ニーチェ自身は、ショーペン・ハウアーという別の哲学者の影響を大きく受けていて、そのショーペン・ハウアーという人はインド哲学や仏教に精通していたらしい。そして、アドラー心理学は、仏教と似たような考え方をしているところがあるので、実は、仏教・インド哲学→ショーペン・ハウアー→ニーチェアドラー

っていう感じですべて繋がってるん違うのかな?と感じた。まあ細かなことは、またの機会にして今日は、ともかく 「マンガで分かるニーチェ」から気になったものを抜粋してみた(*≧∀≦*)。

     以下は、「マンガで分かるニーチェ」より。

ーそれぞれの眼にはそれぞれの世界が写っている。ー

    『虚しさに苦しむ人々のために、ニーチェは新たな生きる喜びを見出そうとした。その要旨を理解するためにまず押さえておきたいのは、「人は誰もが自分の解釈で世界の姿を理解している」というニーチェの指摘。万人に「共有」できるものなど、この世には存在しないのだ。』

   ー安易な優しさや思いやりは相手を見下す自己満足にすぎない。ー

ニーチェは『同情』を非常に嫌った。それは相手を自分より格下と見なし、まったく脅威を感じていない時に生まれる感情だからだ。どんな人をも対等と認める人なら、同情などしない。同情は卑しく、羞恥心を持たない人だけが抱く感情で、自分に対する自信のなさから生まれるものと考えたのだ』

 

ー人生とは瞬間を生きることの連続であるー

  『自分の生き様を善い生き方、悪い生き方などと人に決められる筋合いは本来ない。自分が望むままに生きることこそ、最も人間らしさを、つまり最も本来的な自分の価値を肯定した生き方だとニーチェは考えた。人が決めたルールに囚われず、自分の欲求を肯定しながら生きるのだ。』

 

『人は、相手を軽視している限り、憎むことはない。相手を同等、もしくは一段優れたものと認めたときに、初めて憎む。』

 

ー自分が「やりたい」と感じるものに価値があり、正しさがあるー

『自分にとって何が正しいのか。何に価値があるのか。その答えを知っているのは、自分しかいない。周りの評価を気にして人生を選択しようと思うから、窮屈で空しくなる。自分は答えを知っている。そう信じて、大切なものを見直してみよう。「世間の目」を一度忘れて、本当に楽しめることを探してみるのだ。』

 

『動物から進化して人類が生まれたように、人間はまだ進化の過程にある。そして、その進化を遂げた先に超人という存在をニーチェは思い描いた。人間にはまだ可能性がある。今の人間を乗り越えた先に、新しい生き方の高みがあると考えたのだ。

   与えられた価値観を疑いもせず受け入れ、家畜のように群れる者たちをニーチェは「蓄群」と呼び軽蔑した。自らの弱さを正当化する蓄群の生き方は、もはや受け入れられない。「みんなのため」という利他主義ルサンチマンの表れ。そんな卑屈な奴隷道徳から解き放たれ、新しい価値観や生き方、より高貴な道徳を見出さなければ、という』

 

『怪物と戦う者は、そのため己自身も怪物とならぬよう気をつけるがよい。お前が永い間深淵を覗き込んでいれば、深淵もまたお前を覗き込む。』

『自分の不遇を他者のせいにすることが当たり前になってくるような人間は度が過ぎれば「敵」に対して悪だのなんだのと罵るうちに自分自身がどんどん醜くなっていくものだ。』

 

ー言い訳は挑戦を遠ざけ自分を弱くするー

『人間は言い訳の天才だ。親が悪い、学校が悪い、社会が悪い...。だが、そう思う一方で「自分は悪くない。むしろ正直に頑張ったから不幸なんだ。」などと考えるのは、楽をしたいだけの甘えだ。」人は「今この条件で」勝負するしかない。そうするための勇気を見つけよう。』

 

『自分に道徳的敏感さや道徳的眼識の繊細さがあるということに、大いに重きをおくような人間には用心するがよい。こういう人間は、自分がひとたび我々の面前で(あるいは我々に対して)しくじりを犯したとなると、それを根に持って決して我々を赦すことがない。』

 

ルサンチマンという言葉をニーチェは、「強弱に対して弱者が持つ怨恨や復讐感情だ」として新しく使った。例えば、「正義は必ず報われる」「神はすべてを見ている。そして、後から公正な裁断をしてくださる」「悪は必ず倒される」といった言い方や考え方の奥底には、このルサンチマンがあるとした。

   つまり、ルサンチマンは、相手を凌駕できない無力さ、しつこい嫉妬などから芽生えてくる。もし、自分に特有の力があり、その点で誰をも敵とみなすことがないならば、ルサンチマンは生まれようもない。従って、ルサンチマンは弱者に多く見られるものとされる。

   ニーチェは、道徳や善悪の起源は弱者のルサンチマンにあるとした。強い者は望むままに生きる。彼らにはその生き方こそ善だ。だが、その陰で圧倒的多数が敗者・弱者となる。弱者は自分たちを正当化するため善悪・道徳・倫理といった価値観を創造した。「自分たちのほうが実は高みにいる」と言い聞かせてきたのだ』

 

ニーチェは、すべての現象は「力への意志」のせめぎあいから生じている、と考えた。力への意志とは、あらゆる存在に宿るバイタリティのようなもの。生命活動や物理現象、社会現象、歴史の発展や文化、思想の移り変わりなどのあらゆる事象は、そこに関わる存在たちに宿る力への意志がせめぎあい、なんらかのバランスとして現れることで生じていると読み解いたのだ。

   あらゆる存在に宿る力への意志は、より強く、より多く、より高く、より広く、より深く、より徹底的に....と、ただひたすら自らが増大することを目指す。そこには、より豊かさを求めて広がろうとする能動性があるのみ。善悪の基準や主体性、目的などはない。あらゆる次元、場所において、自らを大きく、豊かにしようとしていくだけだ。そして世界は、この力への意志の拮抗で成り立っている。自然界の現象で見ると、例えば、月と地球の間に引力と遠心力が互いに働いていることでバランスが保たれ、月の軌道が定まる。これは地球と月に宿る力への意志が押し引きした結果。そこに意図や目的、真理などは存在せず、異なる力が拮抗して、せめぎあうことで全体としての調和が保たれるのみだ。』

 

ー自分にとって「一番正しい選択」は身体が知っている。ー

ニーチェは、精神と肉体を分けて、前者を優位とみなす西洋哲学の伝統的な立場を否定し、身体こそ理性である、と説いた。「本当の気持ち」は身体に宿る。心よりも、身体に耳を澄ませることで、人間は「本当にやりたいこと」に気づけると考えたのだ。』

 

ー人生のすべてを受け入れすべてに価値を見出すー

ニヒリズムを徹底すれば「すべては等しく価値がない」。つまり「あの経験は大きかった」のように、他よりも大切な出来事など存在し得ない。

    今の自分の姿には、過去のすべてが等しく影響しているのだ。そのすべてを受け入れるか、否定するか、人生観は二択しかないのだ。』

 

『弱々しく、薄っぺらで、消えてなくなりそうな、自分で自分を否定し否認するような人格は、もはやこれぞという事柄には何ら役に立たない。偉大な問題は、どれもこれもみな、偉大な愛を必要とする。そして、偉大な愛を燃やすことが出来るのは、確固として自己自身に立脚している剛毅で円熟した泰然たる精神の者たちだけである。』

 

『私たちはつい「もし〜でなかったらば」という形式で物事を考えてしまうことがある。現実の結果を見ているのに、その結果を受け入れたがらず、もっと好ましい結果を得るためには、あらかじめどうすればよかったのか、などと考えるのだ。他愛のない想像のお遊びの範囲ならば害は少ないのだが、こんな仮定の話を自分や他人の人生について真剣に行うと、後悔と懺悔に満ちた日々を送ってしまうことになる。実際、「こうすればよかった」「ああ言えばよかった」と、過去ばかり振り返って人生を無駄に送っている人は少なくない。彼らは人生には「良い人生」と「悪い人生」があり、自分の「良い部分」を選択的に生かせば、前者が近づくと考えている。

    この点、ニーチェは「今の自分はこれまでの自分から生まれてきたものだ」と現実的に考える。辛いことや耐え難いことに遭遇するのが人生というものだし、それらもまた今の自分を形成する要素の一つ。過去の自分という全体が、今の自分という全体に繋がっている。見たくない部分から目を背けるのではなく、しんどいことをも自分のものとして受け入れたとき、新しい強い自分がそこから生まれてくる。』

 

『楽しいことのみを選択できるマンガのような人生などあり得ない。もし、人が楽しいことのみを選択できるならば、そればかりに執心し、ほんの些細な嫌なことにも耐えられない脆弱な人間が出来上がるだけだろう。そんな人間は一日すら生きられないだろう。

    だから、人生の途上で起きることすべては必然。一切を受け入れていく必要がある。なぜならば、それが人間の人生だからだ。こうして「すべてに価値がない」ニヒリズムの世界は、すべてに価値がある世界に裏返る。

   ニーチェは身に起こる全てへの愛を「運命愛」と呼んだ。

   この自分の人生の日々を丹念に愛すること。それだけが大事だ。そのとき、一片の後悔も生まれなくなり、すべてが美しくなる。この美しさを味わわずに、どうして徒労に疲れ果てたまま死ぬことができようか』

以上、長くなってしまったのでこの辺で...

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2018.1.13(土) 新年初めての記事😊 「阿修羅のこと」 そして、今年はどんな年にしようか?

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   今日は、2018年1月13日。二十四節気では、小寒(1月5日)と大寒(1月20日)のほぼ中間ということになる。ここ二、三日は本当に寒くて⛄️、テニスやらウォーキングするのもつい億劫になってしもてたんやけど...

   今朝は、休みということもあり、7時過ぎまでグッスリ寝てた😳。 でも、天気そのものは寒いけど快晴で風もなかったので、少し遅いけど、ウォーキングに出かけようと思った。

   いつものように朝食の準備をして食事を済ませてから昆陽池公園に出かけた。寒さ対策は万全にと思い下はスェットジャージの下にタイツを履いて、靴下を2枚重ねて履き、上はUNIQLOで買ったヒートテックの長袖タートルネックシャツの上にジャージとスエットパーカーを重ね着して、更にその上から学生の時に買ったSt.Christopherのテニス用ウィンドブレーカーを羽織って、手袋も2枚重ねて嵌めて出かけた...なんか、モコモコしてしもて動きづらい気がしたけど、歩いてる時に手の指先や足先が冷たくなると辛いので仕方がない…

   去年の年末の23日にブログを更新してから、あれよあれよという間に、新年を迎えてしまい、さらに2週間も経ってしもた(≧∀≦)

    ただ、何を書けばいいのか悩んでて、ずっと気にはしてたんやけど...音楽の話しも、中途のまま終わってて(≧∀≦)

    それで今朝、ウォーキングをしながら考えてたんやけど、普段、本や新聞を読んでは、書込みしたり、記事を貼り付けたりしているノート📓をブログで公開してもいいんかな?とか...

    ニーチェの哲学のことなんかも書いてみたいなとか...

    でも、とりあえず新年始めのブログは、一昨年の12月23日に見に行った奈良の興福寺の阿修羅像について書こうと思った。

    阿修羅像は、それまで本でしか見たことがなかった。4年程前に復職支援施設で知り合いになった人と通院する心療内科が一緒でたまたま病院で一緒になった時に阿修羅像の話をしたんやったと思う。それで本物を見てみたくなって一番初めの上司と一緒に見に行ったんやった。

    初めて像を見たときの感想は、細くて華奢やなぁ😅って思ったのと、背の高さも153.4cmということなので圧迫感もなく、まさに紅顔の美少年😅。そして何よりもその顔の表情に魅せられた…

   眉間を寄せて少しつり上がった両眼。その眼は何を見ているのか…遠くのものを見ているようにも見えるし、何かを思い詰めているようにも見える…小さな口をキリッと閉じて両手を胸の前で合掌するその佇まいからは、胸に秘めるただならぬ意志や想い、あるいは憂いみたいなものを感じざるを得ない。

   「何かを後悔し、悔い改めようとしているのか?」とか「仏教の守護者としての想いみたいなものを体現しているのか?」とか想像力を働かせるんやけど…よくわからなかった。

   そこで、興福寺の土産物屋さんで購入した本の中から読んでみて興味深かった内容を書いてみようと思った。                

   ー以下の記事は「阿修羅を究める」より。ー

  「阿修羅は古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラはもともと「戦闘の神」で、激し    い気性の持ち主である。

   鎌倉時代の「北野天神縁起絵巻」には、阿修羅による戦いの場面が描かれている。阿修羅は手に弓と矢を持ち、牙を上に向け三つの顔と六本の手を持つ。一番上の手には太陽と月をシンボルとして持ち、身体は怒りを直接表すように赤く塗られている。

   阿修羅の戦う相手は、インドの神々の中心であるインドラ(帝釈天)である。しかし、阿修羅は帝釈天にどうしても勝つことができず、戦うことの苦しみを負うことになる。苦しみは業となり、阿修羅道として、地獄道、餓鬼道、畜生道、人道、天道とともに六道の一つに数えられ、畜生道と人道の間に位置付けられる。人間は心の中でさまざまに葛藤し、絶えることのない苦しみを持っている。阿修羅は人間の心の業を象徴的に表しているともいえる。

   古代インドの神々と同様に、阿修羅も仏教が成立し発展してゆく中で、仏教の中に取り入れられ、仏教に敵対するものを威嚇し退散させる守護神としての役割を持つようになる。

   阿修羅の帝釈天に挑む激しい戦闘の力は、仏教に対抗する者に向けられるのである。

   このようなインド神話に由来する「戦闘の神」としての阿修羅は、すでにふれたように怒り顔、三つの顔、六本の手、赤い肌で表すのが一般的である。

   興福寺の阿修羅像も形は同じであるが、表情からは怒りがまったく消えている。戦う神としての激しさはまったく見られない。(「阿修羅像の意味するものー興福寺阿修羅像の美と形」金子  啓明著より抜粋)

    おそらく、たがいに眼をいつまでもジーッと見つめ合わせていられるのは、たがいに信じ合い、愛し合い、哀しみ合っている者同士ではないだろうか。

    阿修羅の場合、阿修羅のまなざしを「見ている」ときは、それは遠くをはるかにやさしく見ているようなまなざしに見える。しかし、真正面からそのまなざしとかち合うと(あるいはそのまなざしに射すくめられると)、それは深く貫き通すようにきびしいまなざしに見える。阿修羅はやさしいまなざしときびしいまなざしの二つを持っている。

    阿修羅はなぜ、やさしくだけでもなく、きびしくだけでもなく、二つの相反するまなざしを持っているのか。それこそが堀辰雄が「切ないまなざし」と表現した理由なのではないか。

   「切ない」とは、心に深く感じ、悲しさ恋しさに胸がしめつけられるような気持ち、息苦しくなるようなおもいをいう。

    この阿修羅はなぜ、こんな切ないまなざしをしているのだろうか。あるいはこの切ないまなざしは何を意味しているのだろうか。それは、おそらく阿修羅が「人間の奥深くにある」悩みや悲しみや苦しみを受け止め、ともに悩み、ともに悲しみ、ともに苦しんでいるからではないだろうか。

    この阿修羅のまなざしは、人間を慈しみ救う慈愛や救済のそれではない。慈愛の目にみち救済の手をもった仏たち、観音や菩薩や如来はほかにたくさんいる。

    阿修羅のまなざしから伝わるものは、たとえ慈しみ救うことはできなくても、ひたすら苦悩を共にしようという「共苦」、悲しみを共にしようという「共悲」の意志である。

    阿修羅はもともと六道という悩みや苦しみ悲しみの世界に住んでいる鬼神という。だからこそ、人の悩み苦しみ悲しみを共にしてくれるのではないか。

    阿修羅は高い所から慈愛をたれたり、救いの手を差し伸べるというのではない。弱く愚かで罪深い私たちの傍にいて、ひたすら苦しみを苦しみ、悲しみを悲しんでくれるのである。だから、こんなにも「切ないまなざし」をしているのである。(「阿修羅と現代人の癒し」立川  昭二著より抜粋)

  

    紀元後四世紀ころ、土着の古神たちと結びついたバラモン教は、様相、内容も新たにヒンドゥー教として台頭する。

    その精神の中核となるのが、インドの二代叙事詩、「ラーマーナヤ」と「マハーバーラタ」である。その原形は紀元前二世紀頃に形作られた。「マハーバーラタ」はヒンドゥー教の興隆とともに、全18編;約10万の詩句からなる大叙事詩として、約六百年をかけて完成された。戦史に神々の物語や、民間説話が加わったものである。

    インドラは世界を支配して驕りたかぶり、傍若無人の振る舞いをするようになった。インドラの威光は陰り、神々とアスラの戦闘が始まった。神々は押されに押された。神々は、母がアスラではあるがヴェーダをマスターした若き聖人ヴィッシャルーパのおかげで助かった。だが、インドラは彼の出自を危ぶみ、後顧の憂いを断つべく最強の兵器ヴァジラー(雷光)で彼を殺害してしまう。ヴィッシャルーパの父トワシュタは復讐を誓い、盛大なヴェーダの祭りを催した。

    その聖火の中から出現したのが勇者ヴリトラである。不死身のヴリトラ率いるアスラと神々の戦いが再燃した。さしものインドラも攻めあぐね、神々の敗勢は明らかになった。いったんは和平した神々とヴリトラだが、ヴィシュヌ神の協力を取り付けたインドラと、海辺で両雄最後の戦いが始まった。

    はてしない激闘も、ついにインドラ得意の武器、ヴァジラーで決着がついた。彼は、ヴリトラの唯一の泣き所、口の中に雷光を打ち込んだのである。以後、インドラはヴリトラを殺した英雄=ヴリトラ.ハンとも呼ばれるようになった。しかし、欺瞞に満ち、卑怯な振る舞いの多かったインドラはやがて名声を失い、世界の王の座を退去した。

    ヒンドゥー教の世界では、アスラは神々と戦い敗れた魔神である。だが、インドラなどヴェーダの主だった神々も力を失ってしまった。ときは流れ、時代の覇者クリシュナ=ヴィシュヌとルドラ=アスラの出現である。ルドラ=アスラは山岳信仰と合体し、シヴァ神に変貌を遂げる。(「阿修羅とは何か」ー古き神々の没落      森谷   英俊著より抜粋)

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2017.12.24(日) クリスマスイブ、聖なる夜に思うこと...(≧∀≦)

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「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう...

silent night  holly night♬

 きっと君は来ない...一人きりのクリスマスイブ

...」                  ♬  山下達郎「クリスマスイブ」

 

    今日は、12月24日。クリスマスイブや🎅

    前回の更新から、約1カ月も経ってしまった(≧∀≦)

    音楽の話、特にサックス🎷を習ってた頃の思い出について書かなあかんあかんって気になってはいたんやけど、ついつい先延ばしにしてたら、いつのまにか今日を迎えてしまった(≧∀≦)

   でも、今日は、音楽の話しよりも、別のことについて書こうと思った(≧∀≦)

    今朝は、5時半に目が覚めて冷蔵庫の中にラップをして冷凍保存してある、ご飯の塊を探したら切れてたので、昨日買ったキヌアを1合と白米を3合の割合で、ご飯🍚を炊いた。その間に、鯖を焼いて、納豆を作り、あさりの味噌汁を作った。我ながら、随分と料理の手際が良くなった気がして嬉しいのやら悲しいのやら、よう分からん気持ちがした(≧∀≦)

    今日の天気予報では、昼頃から次第に天気が悪くなるとのことなので、尼崎のテニスは諦めるとして朝のウォーキングと昼からダンスのレッスンを受けるつもりで、昆陽池ウォーキングに出かけた。案の定、どんよりとした曇り空やったけど、冷たく澄んで、ピーンと張った空気が気持ち良かった(^^)

    いつものことやけど、iPhoneで好きな音楽を聴きながら歩いてて考えを巡らせていたら、「そやそや、前回から随分と時間が経ってしもたし、しかも今日はクリスマスイブ🎄やねんから、クリスマスイブの思い出について書いたらいいやん!」と思い立ち、歩きながら、ずっと何を書くか考えてた(≧∀≦)

   でもクリスマスに関しては、 今まで特にいい思い出はない(≧∀≦)    昔(遥か太古の昔...というほどではないがかなり昔(≧∀≦))に付き合ってた女の子とも、特に一緒に過ごした思い出はないし、たいがい、いつも一人で、この日が来ると「早く、過ぎ去ってくれたらいいのに...」って布団に潜り込みながら思ってたと思う...

    もっとも、もうクリスマスイブだ、へちゃくれだのと騒ぐ年齢はとうに過ぎたんやけど...

    ただ、そんな私にも、たったひとつだけ忘れられないクリスマスイブの想い出がある(≧∀≦)

   あれは、確か、大学4回生のことやから31年前か...

   当時、アルバイトを通じて知り合った女の子を好きになって、クリスマスイブの前日に思い切って、電話で「会って話がしたい」ってお願いしたんやけど...あっさり断られてしまった(≧∀≦)

    実は、翌日のクリスマスイブの日から、友達に紹介してもらった、長野県白馬五竜とおみのスキー場のレストランに1カ月ほどの予定でスキーを兼ねたアルバイトに行く予定にしてたの

で、しばらく顔を見ることが叶わないから会って欲しいとお願いをし、そして告白をするつもりでいたんやけど...その願いが叶うことはなかった(≧∀≦)

   翌日のクリスマスイブには、夜に梅田の確か、今のヨドバシカメラ辺りやったと思うんやけど、長野のスキー場行きの夜行バスに一人で乗り込んだ。乗り込んだは、いいけど...バスの中はカップルばっかり(≧∀≦)

    私の席は、一番前の運転手のそば...

    当時、どんなことを考えてたんかはもう忘れてしもたけど、話し相手もおらず「楽しいハズがない!」わな(≧∀≦)

     そんなんで、とっとと寝てしもたと思うんやけど、苦労はそれだけではなかった(≧∀≦)

     翌朝(とは言っても、まだまだ暗かったんやけど)にバスを降りて、重たい荷物とスキー板を担いで、JR大糸線の「神城」って駅からバイト先のレストランを探して雪道(しかも登り坂)

をテクテクと歩き出した。道の両脇は、レストランやペンションが立ち並んでて、それらを物色しながら歩いたんやけど...

なかなか、目的のレストランを見つけられずに往生して、ヘトヘトになりかけの頃に、灯りの見えたペンションに飛び込んで、目的地がどこか尋ねたと思う(≧∀≦)

   そしたら、目的地は、目と鼻の先、飛び込んだペンションの斜め前の建物であると分かり、その場にへたり込みそうな気分になったん違うかったかなぁ?

    気をとりなおして、目的のレストランの正面玄関(ゲレンデ側)に回り、ようやくたどり着いた(^^)

     レストランのオーナーの奥さんがニコニコしながら出迎えてくれて挨拶をした。綺麗な明るい性格の30台半ばくらいの人でなんかほっとした気持ちになったと思う...ちょうど、ゲレンデを見渡すと、朝日が昇り始めてて、とても綺麗な朝やったなあ〜(^^)

    レストランは、実は、オーナーが自身で設計したもの。コンクリート打ちっ放しの確か地下1階を含む3階建で、1階がレストランと厨房に裏手には食材の倉庫なんかのスペース。地下1階は、風呂場やら、スキー板のメンテナンスなんかを行なうスペースに、みんなが集まってくつろげる6畳くらいの部屋ががあって、2階部分が寝室やら、オーナーの仕事部屋があったん違うかったかなぁ❓随分と昔の話しやから、正確には覚えてないんやけど...😅レストランのフロアは、真ん中にペチカがあって、それを丸く囲むようにカウンター状のテーブルがあって、その周りの他のスペースには6人掛けくらいのテーブルがいくつか配置されてたと思う(≧∀≦)

テーブルと椅子は、赤と黒を基調としたものでイタリア🇮🇹から取り寄せたものと教えてもらったと思う。さすが建築家だけあって、インテリアにもこだわってはった。

    オーナーは、スキーのシーズン以外は、明石市の建築事務所で一級建築士として仕事をしながら、スキーのシーズンになると、家族で五竜とおみにやって来てレストランを経営しながら建築の仕事もこなし、空いた時間にスキーを滑るという、なんとも大変❓あるいは優雅な❓ような生活を送ってはった。オーナーのスキーの腕前はプロ級で、確か、教員の資格も持ってはって、一緒に滑った時には色々と教えてもらった^_^

    まあ、話し出すと長くなるけど、ここのレストランのバイトは、本当に楽しくて、色んな人達...高校生もいたし、もちろん大学生も同じ大学から他の大学の学生もいたし、社会人では、料理家を目指してアメリカで修行を積んでるとかいう人もいたし...実は2年続けてバイトに行ったんやけど、その間に色んな人達と出会い、事件❓エピソード❓もたくさんあって色んな思い出があるんやけど...長くなるから、その話しは別の機会にして、クリスマスイブの話しに戻ろう(≧∀≦)

   そうそう、初日にナイターで滑ったんやけど、その日は、静かでしんしんと粉雪が降り続いてて、とてもロマンチックな夜やった(≧∀≦)

   スキー場の夜の景色...

   ナイターの照明に水分の少ない軽い粉雪が静かに降りしきる夜...周りの樹木の枝は白く雪化粧されてて...

    本当に、おとぎの国に迷い込んだかのような綺麗な景色やったと思う(≧∀≦)

     そんな中、リフトに乗ってたら突然、山下達郎の「クリスマスイブ」がゲレンデに流れ出した...

    今でこそ、もうベタな曲になってしまったけど当時は、確か、JR東海のCMで、深津絵里やったかなぁ❓違うかな❓とにかく、個性的な女優さんが、恋人と離れるのか、どんなストーリーか忘れたけど、駅のホームで列車が走り去るのを見送るみたいなCMに使われてた曲で、まだまだ新鮮やった...

    その曲が流れてきた途端に、何故か目頭が熱くなってしもて...恥ずかしながら泣いてしまってた(≧∀≦)

     長くなったので、この辺で。

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2017.11.26(日) 音楽の話しの続き...その1 梅田阪急百貨店 Turry,s Coffeeにて

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 青島係長  

『事件は、会議室で起きているんじゃない❗️』『現場で起きているんだ❗️』

 係員A

『いいえ、違います❗️係長...』

『事件は、やっぱり会議室で起きていました…』

 

   今日は、11月26日の日曜日。24節気では、小雪(22日)を過ぎて大雪(12月7日)に向かうところ。

   今月の8日に、テニスのダブルスの試合中に左足の膝裏の靭帯を痛めてしまい、テニスはもちろん、ダンスもパーソナルトレーニングも出来ない状態で約3週間が過ぎた😿

    怪我をした翌日に整形外科に行き、MRIを撮ってもらったら、不幸中の幸いにも靭帯は切れてなく、半月板も損傷していないとのことやったんやけど…「完全に痛みが引くには今月いっぱいは掛かるでしょう」と言われてしまった。言われた通り、大分と痛みはマシになったようには感じるんやけど、未だ少し腫れてて痛みがある。本当は昼からダンスとテニスの日やねんけど…仕方ないから諦めることにして7時過ぎから1時間だけウォーキングに出かけることにした。

    今朝は、最後にウォーキングのコースを外れて、公園の内部に入り、少し散策をしてみた。

    もう寒さが沁みるからか❓今朝は遅すぎるのか❓人はまばらで、芝生の上のベンチに座って何やら考え事をしている、老人と呼ぶにはまだ少し若い男性と、大きな木の幹に足をかけて、脚の腿裏のストレッチをしてはる少しイカした感じの高齢の女性くらいしか目に入らなかった。でも、なんか素敵な風景やなと感じた…

    大学生の頃に、友達と旅行で訪れたカナダのトロントという町の朝の風景に少しだけ似てるように感じたからか…もちろん、昆陽池公園トロントの町の美しさには程遠いんやけど、白鳥に、カモ🦆やらユリカモメなんかの水鳥がいてて、芝生の広場もあるし、木々の緑も豊かで...確か、トロントの町を散策してる時に、「現役をリタイアしたら、こんな綺麗で静かな町で余生を過ごせたらいいなぁ〜」って思ったと思うねんけど、「昆陽池公園でも充分か⁉️」って思った(≧∀≦)まあ、今は母親と一緒やから、一人になっても伊丹に留まるかは分からんけど...

    それは、そうと...冒頭に少し書いたけど...「長いこと生きてたら、色んな事件が起きるなぁ(≧∀≦)」って思わされることが、2週間前くらいにあってんけど...

   まあ、そのことにはあまり触れん方がいいかな(≧∀≦)

    実は、2日前の11月24日は、父親の月命日。もう亡くなって11年が経つから父親の想い出について書いても良かってんけど...それは、またの機会にすることにして、ずっと書かな、書かなって気になってた音楽の話しの続きを書こうと思った(^^)。

   私がSAXという楽器に出会ったのは、確か中学生の頃やったんかなぁ❓吹奏楽部の友達の家に遊びに行った時にアルトサックス🎷で、ザ.スクエアの「遠雷」という曲を吹いてくれたんが一番最初の出会いやった。私は、当時、テニス部に所属してて、楽器とは無縁やったし、もともと体育系は好きやったんやけど、楽器の演奏とか、美術なんかの芸術系の学科は苦手やったから縁ないわって思ってたんやけど...友達が吹いてくれるのを聴いて、一発で気に入ってしまったと思う(≧∀≦)

   ただ、その時は、自身でやってみようとまでは思わなかった。でも、その後、ずっと頭の隅に残ってて、「いつか自分も吹いてみよう❗️」

と思ってた。そして、今の市役所に就職してすぐに、同期の女の子に付き添ってもらって、神戸の元町にあるYAMAHAに楽器を買いに行った^_^  買ったのは、YAMAHAのYS62という型番のアルトで、新古って言うのか?展示品を割安に買った。そして、梅田の今のHEPファイブ辺りにあった、YAMAHAのスクールに習いに行ったんやった...

     長くなったから、今日はこの辺で...この続きは近いうちに書こうっと😌

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2017.11.4(土) 12;11 西宮北口駅構内 TuLLY's Coffee にて

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『自分にとって「一番正しい選択」は身体が知っている。』

    ニーチェは、精神と肉体とを分けて、前者を優位とみなす西洋哲学の伝統的な立場を否定し、「身体」こそ理性である、と説いた。

  「本当の気持ち」は身体に宿る。

   心よりも、身体に耳を澄ませることで、人間は「本当にやりたいこと」に気づけると考えたのだ。           

                     「マンガで分かる  ニーチェ」より                                                                                                 

   今日は11月4日(土)。昨日が「文化の日」で3連休の真ん中や。二十四節気でいうと3日後の11月7日が「立冬」。いよいよ暦の上では冬という時期に近づいた。先週と先々週の土日は、珍しく連続で21号、22号と台風が続いて雨ばかりやった(≧∀≦)。おかげで朝のウォーキングもテニスもできなかったのでストレスが溜まってたんやけど、昨日から気持ちよく晴れてくれ、風もなく穏やかな好天気に恵まれたので昨日は昆陽池を2時間かけて、歩いたり走ったりを繰り返した。でも、前から痛めてた左足の膝裏の筋が痛み出したので、今日は無理をせずに、ジョギングはやめてウォーキングを1時間だけに留めておいた。昆陽池の緑も、紅く色付き始めてるものもあり、なかなかの風情(^^)。

ウォーキングには、もってこいの季節になった。

   今日は、朝食は簡単にササット済ませて、6時頃から歩き出し、1時間ほどで切り上げ、帰ってきてからはシャワーを浴びたり、コーヒーを飲みながらテレビのyoutubeでロジャーフェデラーの動画を見たりウダウダしてからイオンモールにワイシャツを預けて13時からの西宮北口でのパーソナルトレーニングの前に、駅構内のTuLLys Coffeeでブログの更新をすることにした。

   それで、今日は、昨日、奈良の100年会館に観に行った「Jazz  Bank」っていうダンスのイベントについて書こうと思った^ - ^。

   ダンスは、去年の6月に始めたんやけど、イベントを観に行くのは今回が初めて。自分の師匠も3人、出演しはるので楽しみにしてた。17時会場で、17時半から21時まで24組ほどのダンスチームが、3分から4分くらいの持ち時間で演技しはるんやけど、17時半ギリギリに会場に到着したら、とても大勢の人が列を作って並んでた。17時開場違うん⁉️って思いながらも仕方なく、大勢の女の子たちが並ぶ列に私も並んだ(≧∀≦)

   まあ、予想はしてたけど、女性が圧倒的に多くて、しかも若い子がほとんどやから華やかというかみんなそれぞれ個性的なファッションに身を包んでオシャレして来てはるから、独特な雰囲気に包まれてて、「なんか、俺って場違いな所におる❓❓」って少し居心地の悪さを感じてた(≧∀≦)

   「 誰か知り合い、おらんかな❓」ってキョロキョロしてたんやけど、2人の師匠と挨拶を交わしただけで、他は知らん人ばかり。なおさら孤独感が募った(≧∀≦)

    仕方なく、自分の席の隣はいつも一緒にレッスンを受けてはる人なんは知ってたから期待していったら、席は空いてて、まだ来てはれへん(≧∀≦)     「俺って、とことんいつでも孤独なんやわ...」って少しセンチメンタルな気分に...

    開演まで間があったので、ホールの入り口付近をウロウロしてたんやけど、誰も知ってる人はおらんかった(≧∀≦)

  _    _ただ今、18:41。今からダンスやからこの続きは後で...                _      _       

    ただ今、21:36   ダンスのレッスンが終わって、阪急梅田駅の8番線のホームや。いつもの通り、東通り商店街を抜けて来た。ダリルホール&ジョンオーツの「Adult  Education」を聴きながら、すれ違う人たちを観察しながら歩いた。少しひんやりとした風が、ダンスで熱を帯びた身体に心地いい^_^

   すれ違う人たちを観察しながら、当たり前やけど、「みんなそれぞれやな...色んな人がおるな...それぞれに人生があって、その数だけ物語があんねんな」なんて感じた。

    それと、3連休の真ん中の土曜日のせいなんか、割に浮かれて楽しそうな人たちも多い気がした。なんか自分だけ冷めてて、浮いてしまってるような違和感を感じつつ、「日本人てほんまに平和ボケしてるん違うん?」つい、先月の衆議院選で自民党が圧勝して第4次安倍内閣が発足してしもたけど、「これでほんまにええん?」なんて感じた。でも、これまた、そんなことを考えてる自分が、周囲とズレてる気がして...まあ、話し相手がおらんから一人でつまらんことばっかり考えてしまうんやろう(≧∀≦)

   それより、Jazz  Bankの続きを書こう。

   結局、知り合いを見つけられずに自席に戻って開演を待った。そして、18時少し前くらいに開演した。

   ダンスをショーとして、観覧するのは初めてやけど、「凄い!」と思った(≧∀≦)

    現役のプロのダンサーが踊るねんから当たり前やねんけど普段のレッスンでは見られへんようなレベルの高い踊りに圧倒された。「身体一つで、こんなにも表現出来るんや(≧∀≦)」もちろん、みんな身体は鍛えてはるから、身体の線は綺麗ねんけど、それ以上に複雑な振り付けを、物凄いキレのある動きでこなしていきはるのを観てで圧倒されてしもた...

  衣装の他、   それぞれ、色んな演出がされてて個人的には、バレエの要素を取り入れて、ステージの端から端までダンサーがダイナミックに踊り抜けるようなもの、あるいは、ストーリー性があって黒衣装に身を包んだ1人が、他のダンサーをまるでマリオネットを操るように動かすような演出が施されたもの、男性のペアで、曲にQueenの「ボヘミアンラプソディー」を使ってたものなんかが気に入った(^^)

   やっぱり、身体も鍛えておかなあかんなぁ〜

    筋力も大事やけど、柔軟性も大事やなぁって、身体の固い私は改めて思った(≧∀≦)

    それと  「  頭が良ければそれでいい」って考え方は嫌やなぁ〜(≧∀≦)

    なんぼ頭が良くても使い方を間違えたら意味ないし、自分が頭ええから言うて、他人を見下したり蔑んだりする人って最低やと思うし...

    ほんまに頭のいい人は、決して偉そうにしいひんもん。頭がいいんやったら、それを他人を助けるために使ってナンボ違うん?

    とにかく、頭も身体も一体。頭だけが良くてもアカン。バランス良く両方とも大事にせなアカンて改めて思った。

  「自分にとって一番正しい選択は、身体が知っている。」というニーチェの指摘の意味は、もう一つよう分からんけど、要は「頭がいいだけではアカンで❗️」ってニーチェも言いたかったん違うんかな?

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2017.10.7(土)18;20 ダンスのレッスン前に。whity梅田subwayにて…

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   今日は、10月7日。二十四節気でいうと明日の8日が寒露ということで、朝晩の冷え込みがはっきりと感じられる節気ということやけど、今朝は、そんなに冷え込みは感じなかった。

   今朝は、5時に目が覚めて3連休の初日ということもあり、朝食を食べてから昆陽池ウォーキングに行くぞー!と勢い込んで早速に、朝食の準備をした。

   今朝のメニューは、いつもの玄米と白米を混ぜたご飯に、納豆、秋刀魚の干物を焼いたもの、しじみの味噌汁にチアシード入りヨーグルト。秋刀魚の焼魚には、いつも大根おろしとポン酢、すだちをかけて食べるんやけど、大根おろしとすだちを切らしていたので、ポン酢と柚子胡椒で食べてみたら、これが結構いけたので、これでまた朝の楽しみが増えた気がした。

   朝食を済ませて、コーヒーを飲みながら玄関を開けてみたら、あいにくの雨。昨晩から降り続いてたんやな…でも、小雨で、そんなにきつい降り方ではなかったので、「少しくらい我慢したらいいわ!」

ってスポーツパーカのフードを被って歩き始めた。もちろん、iphoneを持って音楽を聴きながら…

   曲は、最近、ダンスを通じて知り合った女の子に教えてもらったジャスティン・ティンバーレイクの「can't stop the feeling!」って曲を流しながら歩き始めた。「なかなか、いいやん!」って思いながら歩いてたんやけど...雨が強くなってきたので、慌てて引き返した(≧∀≦)

  「  仕方ないなぁ〜」と思いつつ、シャワーを浴びて、しばらく様子を見よかなと思い直して、台所の片付けと洗濯をすることにした。

    ただ今、pm9時45分。ダンスが終わって、電車の中。さあ、続きを書かな(≧∀≦)

    洗濯物を干して、you  tubeで、ジャスティン・ティンバーレイクの動画を見ることにした。これも教えてもらった曲、「strawberry bubble  gum」って曲の動画を探してみてんけど...なかったので諦めた(≧∀≦)

     テレビを消して、玄関に出てみたり、ソファに寝転がったりウダウダしててんけど...

      しばらく、そんなことをしてたら、雨が弱くなってきたので、思い切って昆陽池ウォーキングに出かけた(^-^)v

    歩きながら、色んなことを考えたんやけど...

先ずは「習慣」について考えた。 

    試し出勤をしてた頃に買った「自分を変える習慣力」という本を読んで勉強したんやけど、ほんと、「習慣」の力って凄いと思う。もちろん、悪習は絶って、善習を増やすんやけど、私の場合は、悪習は、喫煙と飲酒やった。

    両方とも絶って1年半ほどが過ぎて、今は、まったく両方とも欲しいとは思わん。

    それから、「善習」は、「朝の早起き」、

「ダンスを習うこと」、休日の早朝ウォーキング、「通勤時間を利用しての英会話学習」、そしてこの「ブログを書く」ことや「絵を描くこと」など...いまのところ、去年から続いてるし、どれも楽しみながら出来てる。最近は、これにテニスや筋トレも加わりつつある。

     とにかく、無理してとかイヤイヤとかではなく楽しみながら続けるのがコツと違うかな?

    当たり前にやってる感覚。それをせんと「なんか落ち着かん ...」っていうレベルまでもっていけたら勝ち違うんやろか?

    早朝ウォーキングも全部歩くのではなく、全体の四分の一位の距離をジョギングに置き換えてみよう!と、これも最近、見つけたデミトリヴェガス&ライクマイクの「complicated」っていう曲を聴きながら突然思い立ち、早速に始めてみたら意外や意外、「ゆっくりのペースやと結構走れるやん❗️」と思って、それから続いている(๑˃̵ᴗ˂̵)好きな音楽を聴きながらやし、ゆっくりのペースやと、結構走れるもんなんやなと改めて思った(^-^)v   なので、少しずつ、少しずつジョギングの距離を伸ばしていこうと思った(^-^)v

 「考え方が変われば行動が変わる。」

「行動が変われば習慣が変わる。」

「習慣が変われば性格が変わる。」

「性格が変われば人格が変わる。」

「人格が変われば人生が変わる。」

とは、かの松井  秀喜選手が、高校時代の監督から贈られた言葉らしいけど、その通りかも知れんと思ったm(__)m

   それから思ったのは、「やっぱり集中力って大事やなぁ...」ってこと。あれだけ苦手やった絵を描けるようになったんも、ダンスやウォーキングで体力がついたおかげで集中力が増したからやと思う(≧∀≦)  絵を描くという作業は、被写体をよく観察せんとあかんから、集中力がないと無理...逆に言えば、体力と集中力さえつけば、誰でもそこそこ描けるようになるんやと思う(≧∀≦)

    いずれにしよ、これらのことは、ダイエット然り、能力開発の仕方然り、色々と本で勉強しては試行錯誤して、もがき苦しんで自身で導き出した結果...これだけは、自信を持って言っていいと思う(≧∀≦)

 「真理とは、もがき苦しんだ者にだけ到達出来るもんと違うんやろか?」

    あのブッダも、「苦行」の末に、その無意味さを知り、悟りを開いたんだとしたら、「苦行」は決して無駄ではなく、むしろ「悟り」を

開くためには必要悪やったんやろなって思う(≧∀≦) 

   自分をブッダに擬えて考えるなんて、身の程知らずというかおこがましい気もするけど、「まっいいか(^-^)v   何を思おうと自由やし、誰にも迷惑かけてへんねんもん...」

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